親愛なる友達、そして一読者として。
内藤様、ブログいつも楽しく読ませていただいています。今回のブログも携帯に振り回される姿、非常に笑わせていただきました。笑いすぎてタンスに頭をぶつけました。出血多量です。ピンチです。
さて、冗談はさておき、先日応援団と愛校心に関する文章を読ませていただきました。内藤様の応援団に感じる愛しさと、それゆえの憧れが肌に感じられる気持ちのよい文章でした。
ところで、愛校心に関して思うところを少し書いてみたいと思います。愛国心に関するしりのすわりの悪さには非常に共感を感じます。そして、小さな共同体の中の反復と閉塞に息を詰まらされている姿は今の私に重なるものであり、課題となるものであります。私が思うに、「うちら」という言葉に絡みつく違和感とは、「うちら」が、自分たちにしか分からないと決め付け、「外」を排除する一方、「中」では一つの意見にしがみつき、中の自分たちは分かり合えると強要する、そんな雰囲気があることだと思います。伝わりますか?なぜそのコミュニティーの中は分かり合え、外との相互理解を無理無体だと分かるのでしょう。勝手な決め付け。そんな人間の共同体があるはずないではないですか。
もうひとつ、愛校心に関してです。少し不思議に感じました。内藤様の、愛を求める姿を。なぜでしょう。私は「たしなみ」という言葉に、耳を微かにかする不穏な響きを感じたのです。
私は東大が好きです。大阪が好きです。建国高校が好きだし、きっとこの生まれた日本が好きでしょう。そして長年親しんだ韓国が好きです。これは自然に、自然に、きっと自身の思いで育まれたものだと信じています。きっと内藤様も日々練習する野球部、全身全霊をかけ張り裂けんばかりに応援する応援部、もちろん野球に限らずとも東大で得た友、教授、生協のおばちゃん、芝生で見上げる緑と空、それらに触れ合っているうちに、だれに種をまかれるでもなくにょっきりと愛が「芽生えた」のだと思います。
さて内藤様、誰に愛を、たしなみを「求め」ましょう。
決して嫌味ではなく、はてまたあなた様の意図を大きく取り違えているのかもしれません。しかし、周りが見えなくならない程度、そんな大人の目で周りを見てください。「ただひとつ」こそ歌えないかもしれませんが、友や、ここの雰囲気を含め好きだと言う人は多いと思います。すくなくとも私はそう実感しています。仮に東大に東大が好きではない人がいてもいいじゃないですか。そんな多様なコミュニティーこそ「求め」てみませんか。
次の試合、できれば一緒に応援行きたいですね。それも「ただふたり」ではなくもっとたくさんで。
これからもブログ、楽しみにしております。
李 太喜
