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民族教育企画の始まりと今

この企画の始まりはとてもとても立派とは言えない。

2年前、右も左も分からなかった1年生の僕は、立花ゼミにひょっこり顔を出した。

ブレインストーミングなんて聞いたこともない横文字にびくびくしながらも、
言葉がぶつかりあう摩擦熱でヒートアップしたあの場に、すっかり酔っぱらっていた気がする。
そして、僕のふしぎと昂揚した精神は、ふらふらと手を挙げることを意思し、何にとも知れない気負いと見栄の入り混じった言葉を選択していた。

何故韓国は嫌われているんですか。

酔っ払って言ったものだから紡ぐ言葉はでて来ない。つらつらと、その場しのぎの言葉が続く。
取り繕った、でも整合性が失われた言葉。
自身がネットを見て感じたこと。
自らが差別など微塵も感じることのない幸せな生活を営んできたこと。
それらの不思議なギャップと、自分でも捉えようのない、揺れる思い。
その流れのまま、日韓関係を調べたいのだという酔っ払いの戯言は具体性はないまでもひとつの企画とあいなった。

さて、実は僕はこんなことがしたいのではなかった。
いや、正しくいうならば、これと真逆のことがしたかった。
これに気づいたのは酔いのさめた次の日だっただろうか。

「あなた達一人一人は小さな外交官です。韓国人の代表として恥ずかしくない行いをしましょう。」

その言葉は僕が通っていた民族学校の教室に貼ってあり、中学生だった僕の好きな言葉の一つであった。
いつか韓国語をマスターして本物の外交官になりたい、と心密かに思ってもいた。
高校生になった。少し青みの増した僕の思いは、でも、劇的な変化を遂げるわけでもなく日韓関係の仕事に就きたいというものだった。

ある日、はたと気づく。

僕は、いつの頃からこんなに真剣に日韓のことを考えるようになったのだったか。
少しながらも、だけど着実に育っていた自分の民族に対する猜疑の気持ちが噴き出し始めていた。

どこからか湧き出る
在日韓国人=◯◯
の定式をいつのまにか自らに当てはめて、
あたかも在日であることが第一のアイデンティティであると思うようになったのは何故だろう。

いつ僕は「在日」になったのだろう?

いつ僕は「韓国人」になったのか?

学術的、政治的分析はとりあえず置いておこう。いたって普段の生活の中の自分に関してなのだから。
僕は気づいた頃には韓国語を学び、韓国の歴史を知っていて当然であった。いつのまに僕は所謂「在日韓国人」となっていたのか。
いや、正しく言えば、いつのまに「在日韓国人」であらねばならなくなったのか。

親の教育はもちろん大きなものだった。
だけど僕の場合はそれだけでなく、学びの場に民族が持ち出される特殊な環境にいたことが影響を与えていたのは間違いないことだと思う。
韓国人の子に囲まれ、韓国語を学び、小さな外交官なのだと教えられ、朝礼では国旗に対し、胸に手を添えて敬礼をする。
もちろん、日本に対して悪いイメージを抱いた先生も、友達もほぼいなかった。
少なくとも、日本生まれの僕らには日韓の確執などない。
でも先生達は、日韓の摩擦がこれからの未来に枷となると教えてくれた。日韓関係にだけとらわれるのは良くないとも言ってくれた。
だけど、僕がなぜ韓国語を学ばなければならないかを教えてはくれなかった。
個性を強調しつつも、同じ民族というひとつの土台から離れようとは決してしなかった。

韓国人なのだから。

高校を終える頃には、こんな自明の理であったことが到底納得できないものとなっていた。

さて、こんなところで僕の立てたい企画の方向がころりと変わったことはよく分かると思う。
むしろ、あの時酔っぱらっていたことがよく分かると言うべきか。

僕は日韓問題を在日韓国人として扱いたくなんかないのだ。
問題は、なぜ在日韓国人としてこの問題を扱わなくちゃならないのか、どこでこの思いは生まれるのか、ということなのだから。
こうして企画は、日本の在日外国人学校を訪ねながら、いかにして民族教育がなされているかを見聞する方向に固まった。
多種多様な環境を持つ国、社会、そして人。ひとつの尺度ではくくることのできないそれらが、僕の疑問へ幾許かのを手がかりを与えてくれるのではないか、という期待がある。
その期待は、言葉にしようと口に含むやいなや、ほどけてしまいそうになる淡いものだけれど。

こうして、酔った勢いの言葉は新たな方向性を持ち、僕にとってより大きな可能性を広げた民族教育企画となった。

民族に縛られないがために民族と向き合い格闘しなければならない、という撞着を自らの懐に抱えながら、民族教育企画は進む。
同士達はそれぞれの思いをこの企画に読み込み、求めているものは違うかもしれないが、その解決に力を合わせる。

僕は誰だ?
問うほどに絡みつくこの命題に、僕なりに答えてみたい。
さて、
とても大学生とは思えない、青い文章になったけど、とりあえず他の参加者を期待w

取材:ムンドデアレグリア

7月3日、朝6時過ぎに王さんと下北沢に待ち合わせ、長い取材の一日が始まった。

電車を乗り継ぎのりつぎ、途中おばちゃんに道を正されながら着いた先は「浜松駅」。そこからバスに乗ってムンドへ着いた時には昼の12時を回っていた。

 

「ムンドデアレグリア」

ペルー、ブラジルの日系人の子を主に受け入れ、体育と音楽、日本語の授業以外は現地語の授業が行われる。すなわち、ペルーの子にはスペイン語、ブラジルの子にはポルトガル語で授業が行われることになっており、よってクラスは学年と国籍によって細かくクラス分けされている。

さて、実際に訪れてみて分かったことは多い。というより、ほぼそうだと言える。まず、学校の家屋が2階建てのちいさな事務所のようなところで、教室は小さく、クラスの人数も5~6人で構成されていた。

日本語の授業をいくつか見学させていただいた。無論小・中学生だから、生真面目に、というわけではなかったが、授業を受ける子供たちはそこに微塵の「民族」も背負わずにただその授業を楽しんでいた。

授業見学させてもらった教室の子供たちにインタビューをすると、みんな将来ペルーへ帰るんだと、無垢に言う。ほとんどの子供が幼い頃に、もしくはつい最近になって日本に来た、おそらく出稼ぎの日系労働者の子供であるらしい。ここには僕の受けて来た「在日」の教育現場との切実な差異が現れている。彼らにとっての「民族教育」とはなんなのだろうか。また、彼ら各々の居住地の近くには環境を同じくする友達がいないのだそうだ。こうして学校で集まることで、やっと自分たちは仲間に出会えるのだ、と。「仲間」に。

大人のための日本語教室も行われていた。授業では浜松の地名であったり、住所であったり、実践的な漢字の読み方などが指導されており、非常に興味深かった。授業に出席されている2人の方に話を聞いたが、やはり仕事を求めて日本へきたのだと言う。「子供にペルーのことをしっかりと学んで欲しいですか?」という質問には、(上手く伝わった自信はないが、)「すぐにペルーへ帰るので。」と、期待と裏腹な答えが返ってきた。

子供たちにとっては、「すぐに帰るからペルー、ブラジルのことを勉強するのは当たり前。」なのだろう。しかし、自身の浅い見聞ながら、出稼ぎ労働者のなかには定住化が進んでいるらしい。これがこれからのムンドでの教育にどのような影響をもたらすのであろうか。

こんなことを質問したくて、授業の終わりを待ったのだが(ここの学校はどの先生の非常にせわしなく働いていらっしゃったので)、校長先生はすぐに出かけられるということであった。

その後電話での取材を取り付けて、僕と老師はバスにのり浜松へと帰った。インタビューこそを眼目においていたため。そのときは悔しかった。

いろんなことをかみ締めながらうなぎを食べて、下北沢に帰ってきたのは24時を回っていた。長い一日だった。

 

で、昨日まで熱を出して寝込んでいたわけですが笑

 

今回の取材で学べたことは多い。そして訊たかったことも多い。後の電話取材での期待が大きい。

9月過ぎになると思うが、朝鮮学校、フランス人学校、インドネシア学校、と取材がほぼ受け入れてくれそうな学校も集まってきた。今回の取材の反省を生かして、次回に繋げたい。

うれしい話

今日は馬術部終わりに寝てしまい、4限の歴史を休んでしまったために時間ができたので2本立てで。

とはいっても短く。

手紙が出せた。やっと。バカみたいに時間がかかったけど、今度は火曜日に電話をかけるって決まっているので嫌でもやることは迫ってくる。

うーん。それはそれで嫌やなぁ笑

なんにせよ、ものとして目に見える形で物事が動いた、いや、動かせたのはうれしいことです。

 

と思った矢先、今しがた東京中華学校からお電話が。

「校長先生とも話し合ったんですが、今回はお断り・・・・・」

・・

・・・・

・・・・・

なんでやねーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!

 

なんか前例がないからだめらしいです。

もうね、前例がないからどうしたと。全ての行動は前例無く始まったんじゃないのかと。

・・むぅ、残りに期待しよう。

 

さて、明日は誕生日なのに使役です。

辛くなんかないですよ。辛くなんか。かわいい馬のためだもの。。。。泣

 

情けない話(僕個人の龍村仁さんインタビュー感想)

情けない話です。。

 

6月18日。昼過ぎ。

英語二列の授業を切って向かった先は新宿だった。

それは新宿御苑のほど近くに事務所を構える龍村仁さんに話を聞くためである。

正直、ガイア理論について勉強もほとんどできなかった。だけど、雨宮さんから科学と文化に関する彼の哲学を聞いて興味があったし、最近久しくインタビューに行けなかったことだから経験を取り戻すのに行くのもいいかもしれない、という不純な動機もあった。

 

事務所の前で会った龍村仁さんは柔らかな笑顔を持つ素敵な人だった。

狭い部屋でやるのもなんだから、と事務所の前に広がる新宿御苑の中でインタビューをすることになった。

 

さて、本題のインタビューなんだけど、情けないとしか言いようが無い。

始め、龍村さんが撮影の仕事に携わるようになるまでの生い立ち、自身の映画観、そして地球交響曲を撮り始めたいきさつを聞いた。

非常に分かりやすく、面白く、僕の目を見て誠実に語りかけてくれる。

しかし、そこからガイア仮説を含む龍村さんの地球観に話が移ると、途端に思考が停止してしまった。

なんだか聞こえる言葉が全部カタカナになってしまったような、そんな気分だった。

「ソレハ、ヨウスルニネ・・・」

誠実に語り続けてくれる龍村さんの目から、逃げるように目を逸らす。

特別専門用語が出てくるわけでもない。龍村さんの話に矛盾があるわけでもない。

話が若干雑多になったのは事実であるが、語られる言葉が僕自身に何の思い、発想というべきか、も派生させなかったのだ。

まぁったく情けない話である。

いくら考えても、それは字面を追っているだけの、なんだか不思議な体験だった。

 

2時間のインタビューは正味1時間に思われた。もちろん、後半があっという間に過ぎていったために。

取材を終え、残ったものが無かったとは言わない。「直感」について、野矢先生の本で読んだところと繋がる洞察を得ることができた。そして、このままじゃ取材に臨んでもいい結果が得られないんじゃないかっていう不安と共に。

帰るときに吹かれた風は妙に冷たかった。

あぁ、なんだか悲しい記事だし、全然インタビュー内容に触れてないんで、雨宮さん、上田君、やまもっちゃんに期待してください。

 

あー、だめだった。なんでだろう。

なんだか龍村さんの思考の根底に流れるストリームってものを感じ取れなかったんだとおもうんだけど。

情けないっす。

僕らはこんな本を読んできた1

「もの食う人々」 辺見庸 角川出版

 

この本は言わずと知れたベストセラーだ。

バングラディシュから始まってベトナム、クロアチア、ギニア、韓国、などなどなど、各国における「食べる人々」を取材してまわった記録である。

各々の地で、その歴史、文化、経済、主義、宗教、それらに翻弄され、あるいはもがく人々が、辺見庸の美事な文章と相まって「個」として生々しく表現される。

そこではネオナチも、ロシア海兵も、ブガンダ国王も、あるがままに、目に映ったすがたそのままに描かれている。等しく、むしゃむしゃともの食うその有り方は、自分の思い描く通り一遍のイメージの枠からじわりじわりとにじみ出て行く。

僕らが捉えている断片の断片の断片の「全体」なんかより、たった一人であろうと、その人間の実在を知る事が如何に重みをもっているか思い知らされた。

そして、この本には、既成の概念を持たず事実を事実と受け、敢えてストーリーを作らない辺見庸の思い、むしろ悩みが込められている。本書の中でも辺見庸は葛藤し続けている。

そして、僕はこんな作家すてきだな、と思う。

 

 

が、しかし、なんてったって、この本にはすてきな表現が溢れているのだ。

「澄んだ声などひとつもない。どれも砂をまぶしたようにざらつき、錆びて澱んでいる。」

なんて華麗な比喩だろうと思う。まるで、一つひとつの文章に、世界が立ち現れが見えるかのよう。

「文章が好きになる」という体験をこの本は僕に与えてくれた。

そんな記念すべき本だからこのシリーズ一冊目に選んでみた。書評という感じではなかったけど、僕の大好きさ加減ぐらい分かってくれたと思う。笑

 

 

親愛なる内藤様

親愛なる友達、そして一読者として。

内藤様、ブログいつも楽しく読ませていただいています。今回のブログも携帯に振り回される姿、非常に笑わせていただきました。笑いすぎてタンスに頭をぶつけました。出血多量です。ピンチです。

さて、冗談はさておき、先日応援団と愛校心に関する文章を読ませていただきました。内藤様の応援団に感じる愛しさと、それゆえの憧れが肌に感じられる気持ちのよい文章でした。

ところで、愛校心に関して思うところを少し書いてみたいと思います。愛国心に関するしりのすわりの悪さには非常に共感を感じます。そして、小さな共同体の中の反復と閉塞に息を詰まらされている姿は今の私に重なるものであり、課題となるものであります。私が思うに、「うちら」という言葉に絡みつく違和感とは、「うちら」が、自分たちにしか分からないと決め付け、「外」を排除する一方、「中」では一つの意見にしがみつき、中の自分たちは分かり合えると強要する、そんな雰囲気があることだと思います。伝わりますか?なぜそのコミュニティーの中は分かり合え、外との相互理解を無理無体だと分かるのでしょう。勝手な決め付け。そんな人間の共同体があるはずないではないですか。

もうひとつ、愛校心に関してです。少し不思議に感じました。内藤様の、愛を求める姿を。なぜでしょう。私は「たしなみ」という言葉に、耳を微かにかする不穏な響きを感じたのです。

私は東大が好きです。大阪が好きです。建国高校が好きだし、きっとこの生まれた日本が好きでしょう。そして長年親しんだ韓国が好きです。これは自然に、自然に、きっと自身の思いで育まれたものだと信じています。きっと内藤様も日々練習する野球部、全身全霊をかけ張り裂けんばかりに応援する応援部、もちろん野球に限らずとも東大で得た友、教授、生協のおばちゃん、芝生で見上げる緑と空、それらに触れ合っているうちに、だれに種をまかれるでもなくにょっきりと愛が「芽生えた」のだと思います。

さて内藤様、誰に愛を、たしなみを「求め」ましょう。

決して嫌味ではなく、はてまたあなた様の意図を大きく取り違えているのかもしれません。しかし、周りが見えなくならない程度、そんな大人の目で周りを見てください。「ただひとつ」こそ歌えないかもしれませんが、友や、ここの雰囲気を含め好きだと言う人は多いと思います。すくなくとも私はそう実感しています。仮に東大に東大が好きではない人がいてもいいじゃないですか。そんな多様なコミュニティーこそ「求め」てみませんか。

次の試合、できれば一緒に応援行きたいですね。それも「ただふたり」ではなくもっとたくさんで。

 

これからもブログ、楽しみにしております。

李 太喜

よいしょ、起きたぞ。

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マックスバッハとロッキー。

あ、どっちも男です。てか15歳と20歳、人間に例えると80代と60代のおっさんがじゃれ合ってる、まま気持ち悪い図ですな。

・・かわいいからよし!!

 

今週、動こうと思っていたんですが、今日取材先と内容をbbpressにupするだけになってしまいました。

てか毎日10時には寝てしまう生活では何もできん。。

1年生の頃は睡眠時間短くても無茶できたんだけどなぁ。。

せめて休日くらいは競馬場と使役の手から逃れたいものです。あ、金曜使役やから授業出られへん。だれか歴史の出席を代わりにプリーズ。

ま、なんだかんだ時間はあるけどダラダラしているんがだめなんだとおもいますけどね。精進します。

 

閑話休題

今回、去年の民族教育の質問内容とか見てて思ったんだけど。

僕って「自由」が好きなのかなと。

なんで民族教育をするのかって、そりゃ自分を知るために必要じゃないかって、ほぅ、おめーに俺のことがわかるのかって。

民族としてのアイデンティティーを養わなくちゃって、俺のアイデンティティーがなんであなたに決められなくちゃならないんだって、それこそアイデンティティーの崩壊じゃないかって。

あれ、読みにくい??

人権って誰が与えてくれるんでしょうね。生まれつき持っているらしいけど。なんでそんなものが私の権利なんでしょうか。そんなものに自分を預けたいとさえ思わない。

じゃ、刺されてもいいの?

うーん。。嫌だわ。笑

自分は「自由」のなかにいると思う。いや、そのはずだ。上に書いた時間の拘束なんて紛い物だ。馬術部を辞める自由、バイトしない自由、ゼミを抜ける自由。あるじゃないか。

・・じゃ、死ぬ自由はどうかしら。

 

内藤に呼び出されたから一緒に昼飯食べてきます。

これだけ書いたら誤解されそうやな汗

もう少しじっくり書いてみたいとおもいます。

では!

帰還

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久しぶりに見聞伝へ帰ってきました。

 

ゴールデンウィークは馬術部の新歓合宿でした。

帰ってきた水曜日に、雨の中使役に突っ込まれ、木曜金曜と風邪でダウン。

土曜競馬場、日曜競馬場。

んで月曜。。。。。。やっとパソコンに触れる時が!!!

精力的に頑張って行きたいと思います。。

 

ところで、最近野矢茂樹先生の「哲学論考を読む」の3週目が終わったんですけどやっぱり面白いですね。いや、こんだけ読んでも正直内容が理解できているわけではないんですけど、それでも面白い。

小気味良い語り方がいいんですよね、野矢先生。んでまたヴィトゲンシュタインの結論付け方も秀逸ですが。

また「僕らはこんな本を読んでいる」にでも記事書こう。

そういえば、前久しぶりに学校で野矢先生の遭遇して、ちょっと本の内容について研究室に質問しに行ったんです。そしたら質問に答えてもらっただけでなく、なんか雑誌に(フリーペーパーかな?)連載しているらしい記事のコピーをあるだけ頂けました。

こんなこともあるので研究室とか行くのは賛成です。(完全にやましい意味で)

あー、哲学系の企画とかなんかしたいなとは思いつつ、なんにも思い浮かばない。。研究室訪問で哲学の教授を訪れるとかもしてみたいですね。

 

あ、民族教育にアヒョン、返信?ありがとう!

次回のゼミでもうちょっと話を進めたいと思います。

 

なんにせよ今日からゼミの方も頑張ります!

 

自己紹介

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 東京大学文科3類2年  

 立花ゼミ、馬術部所属  

 李 太喜 大阪出身   

 建国高校卒業

 

 

何を見てるかって、「あー、明日も使役かぁ」と携帯見ながら思っているわけです。分かる人だけわかってください。

 

 

自己紹介遅れました。李太喜と言います。

自己紹介・・・要するに自己言及。つまりはラッセルのパラドックスを生み出し、そこにおいてヴィトゲンシュタインとの命題論理における決定的な意見の乖離を生み出した概念について喋れ、ということですね。

 

 

僕の体の半分は馬術部でできています。

ゼミでは「馬術部、そろそろ辞めた?」と冷笑され、

馬術部では「またゼミかよ」と毒づかれる日々を送っており、

そんなときにはお馬さんに癒されてます。

 

ちょっとまじめに。

ゼミにおける活動についてです。

自身韓国系の民族学校出身であり、そこにおける教育について疑問を常々持っていました。他国で生まれた同胞に、境遇の一致という事実のみから祖国への偏狭な志向、固執を求め、同時に苦難の歴史に切々と耳を傾けることを当然であるかのように「教育」の名の下強要する。

そんなもの自分の胸の中だけで解決しとけ!!!

と叫びたくなる。

こんな思いからにょっきり出てきたのが民族教育企画です。もう、失敗しないぞ。。と心意気だけはあるんでどうぞよろしく。中身としては、在日の外国人学校を訪問予定。

 

にっくきかんさんじゅん。

 

 

さて、今週金曜は使役、土日は競馬場と。

頑張ってきます。

てひだぞー

てひだぞー