遅くなってごめんなさい。
また本記事は大変読みにくい超長い構成になっていますので、
直下に設けました目次をご利用下さい。
前書き-という名の言い訳-
NINSシンポジウムの取材記を書く時、常に考えるのは「どこまでネタバレをすべきか?」という事である。
そして次に悩むのは、「一体どこまで短くすべきか」という事である。
「情報の密度の高い文章を書けないだけ」と言えばそれまでだが、長くなることなること。
という訳で今回も大変長い。個人blog部分に書けるからといって、自重しないモード全開である。どーでもいい話もかなり混じっているので、注意されたい。
上の目次及び各記事先頭についているナビゲータでは、取材記事部分本体へ直接飛び、前と後にあるどーでもいい話は飛ばされるので、活用されたい。
何か冷静に読み返すと、後の記事ほど暴走が加速している気がする。気のせいだといいなぁ。
とにかく二人で先にATRまでバスで移動してしまうことに。
遠藤氏のiPhoneが活躍し、”先行しているはず組”とも連絡が取れた。敷地の外、看板の前あたりで待つ。間もなく合流。時間があったので、道路の向かい側のけいはんなプラザになんとなく移動し、残りのメンバーを待つ。日時計が巨大だった。
無事合流を果たし、いざ取材へ。
その1-川人 光男氏-
@ATR研究所 2009/08/26
今回の取材で最初にお話を伺うのは、ATR脳情報研究所所長の川人光男(かわと みつお)氏。
計算論的神経科学を打ち立てようではないか、というお話だった。
AIやロボット工学が生まれてから幾星霜(は言い過ぎだが)、私達の知っているロボットはアトムやドラえもんから程遠い。四次元ポケットや超小型原子炉は置いて置くとしても、人間くらいのサイズで人間並みの運動能力を持つロボット、あるいは人間大で人間のような思考が出来る人工頭脳、どちらもまだまだ夢のような話だ。
もちろん、人間は1GFLOPSなんて計算速度は持ってないし、人間には出来ない運動が出来るロボットだって存在する。しかし、「人間を模倣する」ことはどちらについてもとても難しい。ここから、従来の(広義の)人工知能研究やロボット工学、あるいは生理学や脳神経科学の路線をそのまま延長しても、「人の理解」あるいは「人の再現」は難しいのではないか?と氏は言う。
その立場から氏が提唱するのが、計算論的神経科学である。計算論的神経科学が如何なるものであるか、は講演を聴いて頂くとして(講演終了後に追記するかも)、そのための強力なツールになるのがBMI:Brain Machine Interfaceである。
BMIは様々な方法で脳から直接に情報を取り出し、それを機械などへの入力に用いる技術の総称である。この場合”直接に”とは、筋肉の運動を介さなくても良い、という意味で、必ずしも「脳に電極を刺す」という意味ではない。脳の情報を取り出す方法にはいくつかある。つまるところ脳の物理的な状態変化を測定する訳であるが、fMRI、NIRS、MEG、EEG、といった代表的な方法がある。しかしいずれも一長一短あり、どれか一つだけで何でも出来る、とは行かない。その為複数の方法-と統計的手法-を組み合わせることで、機能を補完し、空間時間分解能の双方を高める研究が行われている。BMIの直接的な応用として、医療で障害を持つ方の機能を代償する装置(例えば義手)やリハビリテーションを支援するシステムの構築が期待されている。
とは言え、氏が何度か強調されていたのは、氏の興味は「人間の理解、脳の理解」にある、という事である。
氏が「脳を創る」アプローチにこだわっているのは、「脳に関する生理学的な、あるいは神経科学的な記述の蓄積のみで脳を理解したといえるだろうか」という疑問と、「脳ができるのと同じ作業を別のアルゴリズムによって解いたとしても、それは脳の理解とは言えない」という信念からだ。
であるが故に、脳型の情報処理と、人間型の出力装置とを組み合わせて研究していらっしゃるのである。
さてその他にも面白かったお話を雑多に書いて行こうと思う。
まずはCB-iの話。CB-iは敢えてモーターではなく油圧と空気圧で動かしている。
これは「人間らしいロボット」を実現するためのコダワリで、これによって「柔らかい」ロボットを実現している。
一般的なヒューマノイドロボットは、電動である。しかしモーターの回転は直接関節の駆動に使うにはパワー(トルク)がない。その為、減速ギアがどうしても必要になる。しかし梃子の原理で増幅されているから、逆に関節に外から力を加えてもモーターはほとんど回らない。
つまり、人間のように外からの力に合わせて筋肉や関節が曲がることはなく、大きな力が加わればロボットは壊れてしまう。また人間と一緒に活動することを考えると、人間が加えた力に対してロボットが変形しなければ、人間が怪我をする。(もちろんソフトウェア的に実現する方法もあるだろうけど)構造的に実現しましょう、という話でした。
従来の脳科学と、BMIと、これからの脳科学についての話。
脳科学では、普通、外に現れた肉体的な動作や、情報処理活動、あるいは認知的な処理などをする時、脳のどんな部位が活動するのか、ということを調べる。そうやって、脳どんな部位がどんな機能を負っているかを特定する。逆にBMIでは、ある脳活動を測定した時、それはどんな行動や思考を惹き起こすかを予想しようとする。そうやって、脳活動から行動を推定しようとするのである。
外から観察して分かること、あるいは被験者の申告によって分かること、をYとする。
そして脳活動をXとしよう。
前者、従来型の脳科学は、Yを見てそれと同時に起きるXを調べることで、脳を調べている。
後者、BMIを利用した研究は、Xを見て、意図したYを推定しようとしている。
前者と後者は丁度鏡に映したように反対なのがお分かり頂けるだろう。
さてここで、同じXとYの組について、両方のアプローチで導かれる脳の活動部位を比較してみると、驚くべきことに25%も一致していない、とのことである。
つまりXからYでも、YからXでも、どちらでも不完全な結果しか得られないのだ。そこで氏は、これからの脳科学はXとYの相互作用を問題にしなくてはいけないのだ、と主張するのである。
実は森本淳BRI研究室長と佐藤雅昭計算イメージング研究室長にもお話を伺ったのだが、省略します。ご免なさい。佐藤氏は複数の方法での脳測定を組み合わせる統計解析手法の研究者、森本氏はロボットの制御アルゴリズムなどの研究者でCB-iの解説等をしていただいた。
去年の夏にもお会いしたのだが、川人氏は飄々としたカッコイイオジサンである。
結構キツイこともさらっと言ったりする。「もう私も年だからこんなこと(脳科学の新パラダイムの提唱)なんかが言える」などと笑っていた。
言葉遣いの所々に出身分野の物理を感じさせる人だった。今回、こういった研究者の方の出身分野を感じることが多々あった。
脳の分野が、今生まれつつある分野であり、言わば脳科学出身の人がいないからということと、脳が極めて難しい対象で、様々な視点とアプローチから切り込んでいる人たちがいることを反映しているのだろう。
ATRを19時前にお暇し、東京帰還組と分かれ千里中央へ移動。
ホテルへチェックインして荷物を置き、夕食へ。
うろうろして定食屋さんへ入る。その後コンビニに寄ってからホテルへ戻る。
なぜか四人揃ってようつべで面白動画を見る。何でだろう…。
そんなこんなで夜も更け、みんな元気がなくなってきたところで解散。
途中太陽の塔を眺める。実物を見たのは初めて。
取材を始める前になにやら立花さんが電話をしている…。え?後で激光が見られるかもしれない?ほんとですかそれ。
何はともあれ時間が迫っているのでまずは予定通り取材に伺う。お邪魔したナノバイオロジー棟は新しい綺麗な建物で、エントランスに置かれたDNAを意識したタイルとソファが印象的だった。
その2-柳田 敏雄氏-
@大阪大学 2009/08/27
柳田氏は、エネルギーの切り口から、話を始められた。
あなたがこの記事を見ているPCは何Wだろうか?因みに我が家のPCは135Wだそうだ。もちろんピーク電力だと思うけど…。
対して、人間の脳は1Wである!!もっと少ないかもしれないとか。
成人男性の一日の消費カロリーは一般に2500kcalなんて数字が良く出てくる。これから単純計算すると、消費エネルギーは121Wである。これだけでもPCより少ない。
当然、これは全身である。ので、通説にしたがって考えると脳の消費エネルギーは25Wぐらい。とはいえこれは生命維持、つまり細胞の代謝に費やされているエネルギーであって、計算に使っているエネルギーはもっと少ないはず。
で、脳内の思考活動に伴ってどれだけ温度が変化するか(なんでも最後は廃熱になります)をMRIで測定してみた所…。先述の通り1Wとかそれ以下とか、まぁそんなスケールになっちゃうらしい。
言うまでもなく、人間の脳は”超”複雑系だ。想像しがたいが、50兆のシナプスがある。
さてこのシナプスがOnとOffしかないとして、パターンの数はざっと2^50e12=(2^50)^1e12≒(1.12*10^15)^1e12≒10^(15兆)だ。うーんすごい。
柳田氏が情報系の人に単純にこれと同じだけのパターンを実現する電子回路の消費電力を聞いた所、「兆になったらもう一緒だから10^(15兆)Wだね」とのこと。
宇宙のエネルギー総量は10^70Jだそうなので、なんというか桁違いもいいとこである。
ここから氏は、生物の神経系が問題を解くためのシステムは、エネルギーの観点から見て、全く既存のストアドプログラム方式のコンピューターとは異なるものである、と結論付ける。チューリングマシンや、他の形式システムのような、アルゴリズミックなものではない、もっと「いい加減」で「間違える」けど「省エネ」で「行き当たりばったり」なシステムなのだと。
そこで氏が提案するのが、「ゆらぎ」を取り入れる、というアイディアである。ノイズを除去するのではなく、その存在を受け容れ、さらにノイズを入力の一部として活用し、探索的な方法で解を見つけ出すようなシステムが、動物の脳内では使われているのではないか、というのである。
そのためにマクロスケールでは信号に対して小さくなりがちなノイズを「積極的に」作ることさえしているらしい。
具体的な揺らぎを使ったプロセスの紹介や応用例は講演でお聞きいただくとして、以下また興味深かった話など。
まず一つは、生体システムは群知能的というか、多数のエージェントが集団として機能を実現している。そして面白いのは、「誰かがサボっても他の誰かが頑張れば全体としては上手く行く」という氏の指摘である。冗長で非効率的だけどロバストというか、頑丈なシステムが実現される鍵は、正にその”いい加減さ”にあるという。関西弁の”ええ加減”の方が近いかもしれない。
氏が加えて指摘するのは、単に超並列的に多数の要素がてんでバラバラに振舞ってもダメで、階層的に下位の要素群が上位の指示、というよりも”好み”を実現するような動作をすることで、全体として目標を実現するシステムなのではないか、とのことである。
この上位が提示する目標を、下位のシステムが探索的に求める訳だが、全部が全部上手く行かなくても、下位のシステムのどれか一つでも目標を達成してくれればそれで十分、とできるある種の余裕が、生体システムの頑丈さを生んでいると言うことだろうか。
別のトピックで、かなり微妙かつ難しいのだが、データと情報の違いって何だろうか。
一般に情報処理といえば、この二つは基本的に区別されない。私が「”記号”とその上に載っている”意味”の違いですか」と質問した所、「人によって定義は違うが、データから情報を区別する要件として、受け手に”意味が取れる”とか、”好ましい”とか、”重み付けがある”ことが挙げられることが多い」とのこと。どうやら、情報にはある種の主観性が伴う、ということらしい。認識する主体が必要、といった方が適切かもしれない。
翻れば、データは記号列の様な、客観的なある程度実体を持つものだと考えてよさそうだ。
この辺は私の解釈がかなり入っているので正確性は保証できないが…。分かってない人による不適切な例かもしれないが一応書いておくと、
例1.二つの言語で同じ意味の文を書けば、記号としては異なるがそれから受け取れるメッセージは同一である。
例2.あるドット絵を縦横それぞれ2倍に拡大しても人間には同じ絵にしか見えないが、ファイルサイズは変わる。
人間は形式的な表現からそれとある程度分離した情報を取り出せるのだ、というニュアンスがお分かりいただけただろうか。
もしデータではなく情報を直接処理することができるアーキテクチャを見出せれば、今のコンピュータにとっては難しい問題も、巧みに解く全く新しい情報処理装置が生まれるかもしれない。ただ生命型の情報処理と、機械型のデータ処理はトレードオフの関係でどっちもと言うのは贅沢らしい。
氏曰く、「生物系の人は複雑さに慣れ過ぎている、工学系の人は複雑さを諦めすぎている」とのこと。関西弁を操る関西人であり、タイガースファンらしい。
切り口からしてそうだが、電子デバイスと生体素子をアナロジーとして、あるいは抽象的な機能を抽出して比較するのではなく、物理的実体のスケールやエネルギー、ノイズといった”役者”が登場する辺りにエレクトロニクスのバックボーンを感じる。
私も何だかんだで情報とデータを混同する傾向があるので、その辺も興味深かった、というのはもう書いたか。この「データと情報」の議論は延長の仕方によっては「普遍的な情報の表現」とかいう話が出てきそうであるが、今回の話を聞いた限りでは、個から切り離せない”主観”や”価値判断”が関連してくるので、そうではなさそうである。
ん?自分で書いた文章を読み返してみると、”情報”を処理するシステムには何らかの”主体性”が必要ということに…なるのだろうか。
人工物と比較するといつも思うことではあるけれど、自然の造形はなんというか偉大である。
取材の後、同キャンパス内の大阪大学レーザーエネルギー学研究センター(ILE-OU)の慣性核融合実験棟にお邪魔する。その話については番外編に書きました。
かなり長時間何だかんだと見て周り、結局この日も大阪大学を出たのは19時を回っていたような…(ちゃんと覚えてません)。
昨日に引き続いての泊組4名は、「折角大阪来たんだし」とよく分からない理由から道頓堀をぶらぶらした。なんなんだあの観覧車は。なんなんだあのギター?ヴァイオリン?エレベータ?フリーフォール?とか思いつつ、お疲れ気味だったので割とさっさと寝ました。てか潰れました。
久しぶりのNINS岡崎共通キャンパスへ歩く。残暑が厳しい日だったのか、夏が暑い岡崎だからか、暑い暑い。日陰が恋しい炎天下を歩く。後で伊佐氏から聞いたがこの辺ではミカンを作っているらしい。そりゃ暑いわ。このキャンパスには中に橋があるんですよね。門を入って入構手続きをし、生理研へ。
その3-伊佐 正氏-
@生理学研究所 2009/08/28
伊佐氏の話では”盲視”という現象が重要な役割を持つ。孟子ではない。
読んで字の如く、”見えないのに見えている”現象である。
人間はモノをどこで見ているだろうか。勿論眼球であり、網膜である。しかし、ある意味で「見ているのは脳」なのだ。脳がなければ当然何も”見えない”。網膜に像が映っていても、である。さて通常眼球に入ってきた光は、網膜上の細胞の働きで神経の信号に変換される。それが視神経を伝わって一旦交わり、右視野と左視野に分かれて左視野の情報は右脳に、右視野の情報は左脳に、それぞれ送られる。
右視野と左視野に分かれた後、途中で左右の脳の間にある視床に寄り道をして、脳の一番後ろ辺りにある一次視覚野に入る。多くの基本的な視覚情報処理は一次視覚野(V1)で行われると考えられている。
この後、視覚情報はより”高次の”視覚野へと受け渡され、更に高度な処理をされて、その結果が意識に上ることになる。
事故や病気(典型的には脳梗塞など)によってV1を損傷すると、当然ながら視覚に障害が出る。例えば片側のV1が破壊されてしまえば、破壊されたのと反対側の視野が失われる。(反対になるのは眼球で像が逆転しているから)
盲視とは、このようにV1を損傷した患者の中には、不思議なことに、見えていないにもかかわらず”見えている”人がいる、という現象のことである。
より正確に書けば、「視覚的な情報は受け取っているが、それを意識することができない」ことのようだ。
どうやってそんなことを調べるのか?といえば、例えば患者に選択肢を提示した上で、見えないはずの視野に何かを見せ、選択肢からどんな刺激だったかを選んでもらう、といった方法が使われる。驚くべきことに、見えていないのに偶然とは言えない正解率で正解する、というのが盲視現象である。
ここでこういった症状を呈する人にも、「全く何にも見えていない」と言う人と、視野に稀には「何か感じる」けれどもそれは”見える”とは違う、と言う人と二種類いるらしい。
いずれにしろ、通常の視覚体験を伴わずに、「見えている」としか思えない行動、つまり視覚的な情報を元に起こしているとしか思えない行動、を起こす事が可能な人がいるのである。
どうやらこれには視神経からの情報を受け取って、眼球運動に関連しているような脳の領域、上丘が関わっているらしい。V1を介さずに、高次の処理系へ視覚情報を渡す別経路が存在するのだ。
別経路からの情報を使って、視覚的な情報に基づいた行動を起こすことはできる、
しかしその視覚情報を認識していることを意識できない。そう、「意識」できない。では意識とは何で、どのように生じ、どんな意味や機能を持っているのだろうか。
氏は、盲視はそんな疑問に答える鍵になるかもしれない、と言う。
以下詳しい話は講演をお聞き頂くとして、そのほか面白い話とか。
上丘は進化的に古い領野で、両生類や爬虫類、魚類は結構ここをメインに使っているらしい。ネコはV1が壊れても、行動的には余り変化がないそうだ。つまり、V1を通さない経路が発達していて、余り困らないらしい。びっくりだ。
それに対して霊長類になると、明らかにV1の損傷は行動に変化をもたらす。
視覚処理から行動への間に、意識とか、そういった高次脳機能が関わるようになっていると言うことだろうか。
意識についての氏の補足。
「最近の脳科学が明らかにしてきたのは、どちらかと言えば意識に上るような処理の比重は小さく、意識は後付と言っていいくらい」かもしれないそうで、「盲視のような現象は特殊に見えるけれども、例えばプロ野球選手のように、意識してからでは間に合わない行動は結構あって、そういった行動では”知覚した”という意識は行動に遅れて起きているはずだ」とのこと。そういう話はしばしば聞くけれども、この体を動かしているのは”私”ではないのかもしれない。
さてでは、「意識に意味はない」のだろうか?「結構そういう意見の人も多い」とのこと。もちろん、限定が入って、「行動には意識が必要ない」と言う意味である。意識は、後から環境と自分の行動を解釈し、理由付けを行うのであって、行動そのものには意識は介入していない、とする人たちが結構多いらしい。直感には反するけれども、実験的に「意識を通さない行動」を取り出すことは結構可能で、そこから単純に結論付ければ「意識は行動を統御しない」と言うことになる訳だ。
しかし、氏は「この議論は、意識を介さずに行動できることは証明しているが、全ての行動で意識の介入がないとは言えない」ことを指摘していた。日常感覚からすれば、あくまでも行動は意識的決定に伴うものなので、私にはこちらの方がしっくり来る。
因みにこの議論に出てくる”意識する/している”は「報告可能な内容を持つこと:reportability」だそうだ。
また川人氏の項では触れられなかったが、伊佐氏の研究室では、ATRや東京大学などと共同で、シート型の皮質表面電極(電極自体の開発は東京大学の鈴木氏の研究室だそうだ)の研究も行っているとのこと。これは川人氏の言であるが、やはり皮質表面からの方が、頭蓋や脳脊髄液や皮膚を通すよりもS/N比が100倍くらい良くなるとのこと。
また、電気的変動の部位を推定する精度が上がる、というのも大きな魅力の一つだそうだ。
当然侵襲度も頭皮に貼り付ける電極より遥かに高いので、より慎重さが求められる方法ではある。将来的には、より侵襲度の高い剣山型電極と組み合わせて、ECoGによる脳内電流源推定の精度を高めることを狙っているとのこと。
こういった複数の方法で採取したデータを組み合わせることで、より低侵襲でも、より正確な脳活動の推定を行えるようにすることを目指している。
予定のプレゼンテーションの後、研究室を見せていただいた。
入口には遺伝子改変動物を扱っているバイオハザードマークが。
お話の中では意識と無意識みたいな非常に高次の脳機能の話が出てきたが、実験室で扱っている対象や手法はかなりバリバリの生物系と言うか神経科学だった。とはいえサルの実験なんかだと、心理学っぽい部分も結構あるが。
そういった研究内容自体の多様性を反映してか、この研究室に来る人の出身分野も様々で、理学系工学系体育系心理学系と色々な方がいるそう。やはり脳の分野は魅力がありますね。
そういえば氏自身は医学出身ですが、現在研究室で医学出身なのは氏だけだそうで、これはこれで珍しい気もする。
サルでは先程もちょっと触れたがATRなんかと協力して、サルの把持運動のモーションキャプチャと、筋電と、より中枢の神経活動を同時に全部とって、デコーディングの研究をしていたり、力覚とかの研究をしていたりするらしい。
こういった実験系は全部コンピュータ制御で、どっかからシステムを買ってくるのではなく、アンプやコンピュータなどの要素を用意して、自分たちでシステムを組んでいるんだそうだ。PCの筐体にIPアドレス書いた紙が貼ってあったのが大変印象的だった。
他にマウスでの研究をしていて、こちらはモロに神経科学。
上丘のスライスを作って、電気生理的な実験や、細胞の解剖学的な形態分類などをしているとのこと。最近では遺伝子工学的な手法が随分進んでおり、抑制性ニューロンだけにGFPを発現させたり、チャンネルロドプシンという藻類が持つ光刺激に反応するチャンネル蛋白を発現させたり出来るとか。
他にも光刺激でグルタミン酸を遊離する、ケージドグルタミン酸(籠入りグルタミン酸とでも訳せましょうか)と言う物質を用いたり、などの工夫によって特定範囲の神経だけを、選択的かつ高速に刺激したり出来るようになってきており、局所的な神経回路網の機能を、局所的にコントロールすることで、よりはっきりと、「その部位」が何をしているのか、を明確に述べられるようになってきている。
前二つの研究室が、と言うよりもそこで伺った内容がソフトウェアよりと言うか、概念的な話が結構多かったのに対して、この研究室は生々しく生物系だったので、大分雰囲気が異なる感じだった。勿論どの方も理論系ではないので、実験・実践はしている。
とは言え究極的なゴールは同じ(人の理解)にしても、入口と切り口が大分違うので、その違い自体が大変興味深い。
東岡崎で名古屋からバスで帰る組(+実家組)と、豊橋から新幹線組に分かれる。
私は新幹線組なので、名鉄で豊橋へ移動。豊橋経由組は東岡崎まで車に乗せて頂きました。ありがとうございます。
しかし小田原経由で帰ろうとしたら小田原に止まる電車が…ああ。これも新横浜行きか…。
結局こだまで各停でございますよ。
名古屋組がそろそろ夜行バスに乗り込もうか、と言う時間帯に家に帰り着く。
帰った後のことは余り覚えていないが、夕食を作ったような気はする。
寝るのは得意(オイ)なので、夜行バスでも結構良く寝る。
ただ、飲み物を買い忘れたため、途中大変のどが渇いてSAで補給。
午前6時台前半に名古屋に着く。寒かったので朝マックした。まんまと策略にはまってるぜ。あの位置(名古屋駅のバスが停まる側入口そば)は戦略的なんだろうなぁ…。他の店が開いている時間ではないので、私以外の降車客も足を向けていたようだ。
余り時間をつぶすアイテムを持っているわけでもなかったので、さっさと電車に乗る。
名鉄で一路犬山を目指す。犬山に来るのは一昨年以来二度目である。
予定よりかなり早く犬山着。以降徒歩で霊長類研究所へ移動。
しかし地図を持っていったら迷うこともなくアッサリ着き、かなり待つことに。猫の親子を見て待つ。炎天下立っていたので午前8時前と言えど結構暑かった。うっかりにも程があることに時計を忘れたので、拳で太陽高度を測りつつ、なんか視界が開けているところから風景を見たりしてた。
ちょっと心配になってきたので通行人(?)に時間を聞く。まだ8:30だった。誤差20分くらいか。もう敷地内に入ってもいいかな、と言う気分になったので門を入り建物に向かって歩いている…と後ろからタクシーが。駐車場で合流。他のメンバーの皆さん、どうもご心配をおかけしたようですみません。
まもなく松沢氏が車で駐車場にやってきた。挨拶をして建物の中へ。
その4-松沢 哲郎氏-
@京大霊長類研究所 2009/09/02
まずはチンパンジーの「勉強部屋」に案内していただいた。
入る時には靴を履き替え、マスクをし、体温を測り、名簿に名前を書いた。人からチンパンジーへの感染を防ぐための措置だ。これは当然チンパンジーのためでもあるけれども、人間のためでもある。
さて勉強部屋に到着し、チンパンジーがやってくるのを待つ。今回会ったのはアイ・アユムの親子である。
因みに、これとほぼ同じ勉強部屋が6箇所程度用意され、それぞれの場所で違った”勉強”を行っている。後で松沢氏が「教師が動かずに生徒が動く学校の授業」みたいな感じだ、と例えていた。なるほど。
先にアイが来た。声の大きさと運動能力の高さに驚く。正直な所、原初的な力に対する恐怖を感じた。あとで伺った松沢氏の説明によれば、あの一連の行動は「挨拶」であるらしい。人間で例えれば、長年会っていなかった人同士の感動の再会、を毎日会ってるのに毎日繰り返すのだそうだ。今思い返せば、彼らの時間に対する感覚(後述)とリンクしている話のようにも聞こえる。
挨拶が済むと、勉強用のブースにアイがやってくる。毛を逆立てているのは、人間で言う鳥肌で、緊張・警戒しているらしい。どうやら我々は不審者だと見なされたようです。暫く観察した後、「害はなさそうだ」と判断したのか、アイは落ち着いた。後で聞いた話だが、1週間に一度くらいは見学者がやってくるそうなので、それなりに慣れてはいるらしい。
その後アユムがやってきて、アイが行ったのと似たような挨拶行動をしていた。実験の様子については、私が言を尽くすよりも、研究所サイト内で紹介されている実験の様子を見て頂く方が、誤解や漏れもなく良いと思う。一つ付け加えるとすれば、ブースを囲っているアクリルがかなり不透明に見えるが、カメラと光の加減であって、実際には肉眼で見るとずっと透明だった。
映像を見ていただければ分かるが、チンパンジーが問題を解く速度は速い速い。「目にも留まらぬ」そのもので、問題を全部認識する暇もないほどである。フラッシュ暗算を出来ない人が(私は出来ません)傍からあれを見ているのに似ている。人間でもチンパンジーでも、単純な記憶能力であれば子供の方が高いが、学習や訓練で習得する記号の判別などでは、チンパンジーでも大人、というか学習の長い個体の方が成績がいいようだ。
勉強の後、アイは爪切りや体重測定などを行っていた。体重計には指示されると自分で乗って大人しくしている。注射も拒まない。当然ながら、こういった行為は両者の間にかなり深い信頼関係が築かれていないと出来ない。信頼関係がなければ、体重測定一つでも、麻酔をかけなくてはいけないが、それにしても近づけないので吹き矢でも使うしかない。素人目にも、信頼関係を築くことは人とチンパンジーの双方にとって良いことに思われた。
簡単な身体測定の後、アイは落花生を一個もらっていた。殻を剥き、驚いたことに唇で薄皮を剥ぎ取って食べていた。後で聞いた所、樹上生活者であるチンパンジーの手はごついので、薄皮を剥くと言った繊細な作業になると、感覚が鋭く器用な唇を上手に使うそうだ。
一通り勉強を見た後、上の階へ移動し、ベランダみたいな所からチンパンジーのタワーを眺める。なんか犬山城の方角に輸送機が旋回していたのが気になって仕方がない。
チンパンジーを飼育する区画は大きく二つに分かれていて、片方がタワーのあるエリアで、もう片方がタワーはないが水が多いエリアのようだった。二つのエリアの間の行き来は自由ではないようだ。これは、一つの群れであっても空間的に広がりを持って暮らすチンパンジーの生態を模したものであるそうだ。一つの群れの中でも、人間のようにしょっちゅう接触があるわけではないらしい。
チンパンジーの食事についても独特で、勿論決まった食事時間はあるのだが、それ以外にも木の葉やイネ科の植物など、区画の中に植えられた植物を食べることも出来るようにしてあるとのこと。チンパンジーは当然人間とは生活の仕方が異なり、朝から昼にかけて活動し、真昼は日差しを避けて昼寝、日が少し陰るとまた活動期に入り、日没前後で寝る、といったスタイルだそうだ。そして活動期の間は結構ずっと食べていて、おおよそ人間の食事時に相当するような時間は一日に6-7回ある。人間の食事サイクルに合わせることはチンパンジーにとって快適とはいえなかろう、と言うことであった。
加えて、氏は自分で能動的に働きかけて採集を行うことも意味があるとも言っていた。
関連しているのでここで述べておくと、実は勉強でもらえる「報酬」は、別にチンパンジーの食べられる量を増やす訳ではないそうだ。
つまり、勉強で頑張ってもその分通常の食事に回る量は減るのである。トータルの量は変化しないのだ。氏の解釈では、チンパンジーはこのことを理解していないのではなく、「分かっていても単に与えられるのではなく自分で努力して手に入れる方を好んでいる」らしい。
なんだか全然本題に入れないのだが、この後も昼食中を含め、色々面白いお話があった。が、それはひとまず飛ばす。
さて本題に入ると、氏が行っているのはチンパンジーと言う種を通して、人間を相対化すること、とまとめられるだろうか。
万物の霊長たる人、ではなく、動物としての人(あえて漢字)、類人猿としての人を知るために、最も近縁の種であるチンパンジーを知る。それも実験室のみではなく、野生生態の研究も行う。そのため氏は年に一度はアフリカでフィールドワークを行っている。そうして人間らしさを、翻ればチンパンジーらしさを研究している、と言うことのようだ。
チンパンジーの”足”は、彼らが樹上生活者であるが故にものを掴む機能がある。他の類人猿もほぼ同様だ。ここから氏は、「人間が手を持ったのではなく寧ろ平坦な地面を歩くための足を持ったのだ」と言う。確かに言われてみれば、人に特異的なのは歩くことであって掴むことではない。
そして更に面白いのは、人の手の器用さ、制御の巧みさは、二足歩行ではなく、人が子育てを共同して行うこと、それが複数の子供を同時に育てることを可能にしたこと、の帰結だと論じるのである。詳細については講演を聞いて欲しい。(場合によっては追記するかも。)
既に上の三項からは大分型が崩れてしまったが、もう一つだけ面白い話を。京大霊長類研では、所長は選挙で選ばれるのだが、その選挙権を持っているのが教授会のメンバーだけではなく、院生学生や一般職員(食堂の人まで!)も、なのだという。しかも三選までと再選の制限まである。びっくりする話である。
「文化が辺境に残る例ですね」とは氏の言であるが、なんとも面白い制度だ。
一つだけ書いておくと、氏が霊長類研究所で研究を始めた頃は、PDP-8なんてものを使っていたらしい!だから機械語で直接プログラミングをして学習のソフトを書いていたそうだ。「チンパンジーの学習はどんどん先に進みますから、次々ソフトが必要で、当時はプログラム書いていた時間の方が長いくらい」だったとか。PDP-8は12bitアーキテクチャだそうで、この中途半端な数字が、メモリや半導体の高さを物語っていて、すごく時代を感じた。
氏の印象は一言で言えば「静かな革命家」とでも言った所だろうか。
穏やかながら、かなり”アツイ”人である。また、昨今の学生にはフィールドワークが出来るような頑丈さがないと嘆いておられた。へなちょこの代表例ですみません。
特に印象に残ったのが、「51勝49敗」という言葉であり、氏のモットーのようであった。何を指して「51勝49敗」かと言えば、野生動物保護と実験・飼育動物福祉の活動についての話である。どちらも容易ならざる問題で、一朝一夕に解決する話ではない。しかし、漸近的にでも改善していくべきだ、という氏の信念には心を打たれるものがあった。
私自身は伊佐氏の所で行われていたような侵襲を伴う実験から得られる知見や、それにまつわる技術的な話を聞いてもワクワクするし、そうやって知識を集めること自体に魅力を感じる人間である。(別に動物実験が好きと言う意味ではない)だが、当然侵襲的、あるいは死を伴う実験が行われていることを研究者としてよく知っていて、しかもそれでもなおこういった行動を起こしている、ということに感じ入ったのであった。
今回の取材は立花ゼミ史上でも最長クラスであり、9時前に集合して18時を過ぎて解散した。流石に皆さん疲労が見え隠れでございますね。名古屋に着いた時点で19時台中盤。
名鉄名古屋改札前で時刻表を西田氏に借りて調べると、今から直帰しても結構遅くなりそうなので、ここで他の面子と分かれました。
お握りと赤福を買い(何故)、新幹線に乗りました。帰宅コースは東岡崎からの帰りとほぼ同じでござる。
定期が切れているので、珍しくJRを利用して移動。
赤門前で待っていると、超久しぶりに高校の同級生と再会。暫く立ち話。
をしている内に遠藤氏登場。ついで立花さんも来たので、そのへんで同級生とは別れる。特に混乱もなく医学部本館に移動。結構セキュリティ厳重ですね…。
アルミ製のイスとテーブルが眩しい休憩コーナーの壁にかけてあるのは円周率ではないか。ざっと200桁ぐらいありましたね。左上の3.14を見つけないとナゾの数列でしかないね。
その5-宮下 保司氏-
@東京大学 2009/09/07
氏の話は、「脳科学とはどんな学問領域で、何が出来て何が出来ないのか」といった話から始まった。
そこから話は視覚の方へ。物理的刺激が、分解され、そこから”情報”が取り出され、”情報”が再構成されて私たちの意識に上る主観が形成されている。さて、この情報を取り出す過程では、脳の様々な部位が、それぞれ部位特異的に決まった種類の作業を行っており、例えば色に関する領域は色の処理だけをしている、と言ったことが分かってきている。
目の前にリンゴがあったとして、その色を処理している領域と形を処理している領域は別で、どこかでその情報をつき合わせて「リンゴ」という認識が生まれているのだ。そして意味あるものとして「それが何か」を知るには、記憶との照合が不可欠だ。リンゴが食べ物だと言うことだって、我々は記憶しているから知っているのだから。
以下、記憶が如何なる内部表現で保持されているか?とか、記憶の照合のメカニズムは?と言った話が続く。この辺は講演本編をご覧いただきたい。
そして話はFOK、Feeling Of Knowingへと向かう。氏の訳では「何か知ってるかんじ」だそうである。人間は、何かを提示された時、それを「知っているか」、「知らないか」、あるいは「覚えているか」、「覚えていないか」を、実際にその内容を思い出せるかどうかと別に認識することが出来る。
この、「知っている」ことを「知っている」といった、自己の認識に関する認識を、メタ認知と呼ぶ。この場合はメタ記憶だ。
動物はこういった認知能力をもっている(ものもいる)が、機械はそうではない。氏の言うように「コンピューターはメモリの中にヒットしなければ、記憶がないと推定するしかない」のだ。この、メタ記憶の能力を科学のフレームの上に載せるにはどうすればいいか?氏の取った方法は、「知っている感じがするかしないか」をFOKとしてその度合いを被験者に提示してもらい、それと相関をもって活動する脳領域を調べる、というものだ。
これまたどんな結果が出たのかは講演をご覧いただくとして、付け加えておくと、FOKに信頼性があるかどうかは、問われた知識に関する選択問題を提示することで、正答率とFOKの間に関連があるかないかを調べれば、確かめることが出来る。
テキトーに答えていたり、こういったFOKのような直感は実際の記憶と無関係なのであれば、正答率とFOKも無関係になるはずである。実際にはそんなことはないそうだ。
とは言え、直感であるので、特殊な直感に反する答えの課題などを用意すれば、FOKと正答率の相関を壊すことも出来るらしい。
なんにせよ、このFOKもまた、人間の「なんだかよく分からない能力」である意識とか直感といった、高次の機能のメカニズムや正体を明らかにするための一つの武器である。やはり人のココロというのは摩訶不思議かつとても魅力的な対象だ。
以下興味深かった話等。
例えばAという記号と全く違うBという記号の二つを結びつける、そういった記憶の素を探るような実験が登場するのだが、この”AとBの関連”をコードしている、つまりこの組を選択的に「記憶」しているニューロンが存在すると言うのだ。私が、「その方式で記憶すると脳細胞の数足りなくなりませんか」と質問した所、「別の状況下では全然別の反応を示したりするから全く問題ない」とのこと。それこそが、超多層、超多重入力されている脳の神経系のなせる技だと言う。コンピュータのメモリのような、厳密な一対一対応性を保持する必要は全くないのだ。
しかしやっぱりある状況下である関係を”表現”しているのはニューロンレベルの極めて局限的な実体らしい。この辺の理解については、脳科学に携わる人の中でも、随分と認識に差があるらしい。実際に、特に侵襲的な実験を直接行っている人や、神経のモデルを作ったりしている理論系の人は、機能の局在っぷりと、状況依存性の両方を認識しているそうなのだが、心理学系の人などとは認識に温度差があるそうだ。
また、「電極刺してニューロンの電気信号が取れたとして、他の部分の機能じゃないと言えますか」という質問には、十年前には答えるのが難しかったけれども、MRIが使えるようになったことで、よりはっきり、強くそういった主張をすることが出来るようになったそうな。
とは言え、十年たって、現在のMRIによる実験手法の限界の見えてきた部分もあるという。
現在MRIの実験では、ある機能に特有な脳活動なのか、と言うことを、その機能を使っていない時のMRIでのデータと「引き算」して残った部分を見る、と言う方法で調べている。
例えば質問に対して声で答える課題にしても、その課題を考える脳活動以外に、発声のための筋肉の制御など、必ずしも直接知りたい脳機能と関連のない能部位が活動する。
そこで問題を考えずに発話しているだけの時の脳活動もMRIでデータを採り、その差分を取ることで問題の領域を明らかにする、となるわけだ。
私は「おばあちゃん細胞」的な極端な機能局在論は余り好きではないのだが、
今回お話を伺って納得した。確かに機能はニューロンレベルで局在しているようだ。
それを、超多重の入力を持つことで様々な機能を一つの細胞に”重ねて”持たせる、というシステムを、生物は採用しているらしい。氏の話の中にも出てきたのだが、「そのコンテクストの切り替えはどんな時にどんな風に起きるのか?また何がおこすのか?」は、非常に面白いテーマだと思う。私にはどうやって調べるのか見当もつかないが。
またメタ認知の類の話はやっぱり面白い。この記事を書きながら、AIのフレーム問題などにも繋がる話ではないだろうか、などと考えて一人で喜んでいる。しかし考えれば考えるほど、一体どんなメカニズムで記憶そのものではなくその有無を調べるのか、一体全体どうなっているのか不思議でしょうがない。
昼飯食べ損なっていたので他のメンバーと別れ、なぜか立花さんと緑さんと本郷の食堂へ。
数日前から猛烈にラーメンが食べたかったのでラーメンを食う。
帰りは時間があるので千代田線から帰りました。特筆事項はなし。