偶には技術とは関係のない、思索的な内容も書いてみようか。と思ったので、書く。 今回のお題は「笑い」である。笑いについての言説は、木許さんの記事で挙がっていた例に限らず、 数多く存在する。笑いというのは、実感として我々「ヒト」を大きく特徴付けているものだし、 人間関係の中で笑いにまつわるエピソードも多い。 どうでもいいが、タイトル「笑止千万」は不可思議な単語である。「笑が止まること甚だしい」と言う字面だが、どう考えても(あざ)笑う時に使うだろコレ。
事の起こりは先学期のゼミにまで(!)遡る。誰か(ごめんなさいどなたか忘れました…。)が、 「下ネタはナゼ可笑しいのか」をいろんな人に聞いて回ってはどうか、という企画を提案した。 この企画自体は特段進むことはなかったのだが、私の中に素朴な「笑?」という疑問符が残った。 特に私が注目したのは、洒落と駄洒落である。 洒落と駄洒落は構造的にまったく同一であっても、面白かったり面白くなかったりする。 その差はどこから来ているのか、があまり自明ではない。 いったい何がそれを決定するのか気になりませんか?皆さん。
そして時々考えること約1月。ふっと思いついたのが5/20前後だったと思う。 んで以下思いついた後、ゼミ長とSkypeしたときのログである。
※この前になんか私が駄洒落を発している [2009/05/23 0:45:50] ゼミ長: ギャグ好きだよねとまぁこの様に、夜な夜な正しくchatをしたりしなかったりして夜が消えていく日常を送っているのだが、それは兎も角として、私のアイディアはほぼここに収束しているので紹介した。
[2009/05/23 0:46:01] 私: 駄洒落は人類の基本です(嘘
[2009/05/23 0:46:23] 私: まぁマジメな話、最近何故しゃれは面白く、かつ駄洒落はつまらないのかについて考察しているのだ。
[2009/05/23 0:46:28] 私: 面白いモデルが出来つつある。
[2009/05/23 0:46:48] 私: きっとポイントは不安なんだ。
[2009/05/23 0:46:51] ゼミ長: ほう?
[2009/05/23 0:47:44] 私: とっさに理解できない→不安や困惑→理解→不安・困惑の解消→緊張の緩和→群れの仲間への伝達
[2009/05/23 0:47:53] 私: って流れなのかなーと。
[2009/05/23 0:48:08] 私: で、「瞬間的に理解できる」駄洒落は、不安にいたらないので笑いを生まない
[2009/05/23 0:48:25] 私: また、「使い古したギャグ」も先の展開が予想できているので不安にならない
[2009/05/23 0:48:35] ゼミ長: おもしろいじゃない。
[2009/05/23 0:48:47] 私: 笑ってやっぱり本来は群れの仲間への伝達でしょ?
[2009/05/23 0:49:26] ゼミ長: 何年か前の東大ぶんさん後期試験で「何故笑うのか」みたいな問題あったよね
[2009/05/23 0:49:32] 私: へーしらねーや
[2009/05/23 0:50:07] ゼミ長: おれは「不条理」って書いたんだけど
[2009/05/23 0:50:18] 私: 何らかのギャップが存在するのは明らかだよね
[2009/05/23 0:50:24] 私: ズレ
[2009/05/23 0:50:29] ゼミ長: うん。
[2009/05/23 0:50:43] 私: でもそのズレが、一足飛びに笑いにつながるとは思えないんだな
[2009/05/23 0:50:58] 私: あと笑ってなによって話ね
[2009/05/23 0:51:12] ゼミ長: 水木しげるが戦争から帰ったとき
[2009/05/23 0:51:26] ゼミ長: 近所をまわったんだって
[2009/05/23 0:51:30] 私: ふむ
[2009/05/23 0:51:33] ゼミ長: そのとき
[2009/05/23 0:51:48] ゼミ長: 近所の家の息子とかは戦死しているわけで
[2009/05/23 0:51:52] 私: だよなぁ
[2009/05/23 0:52:01] 私: あの人も片腕吹っ飛ばされて帰ってきたわけだし
[2009/05/23 0:52:10] ゼミ長: 「なぜだか知らないがいつも笑ってしまった」って語ってる。
[2009/05/23 0:52:16] 私: なるほど
[2009/05/23 0:52:29] ゼミ長: 冗談も
[2009/05/23 0:52:40] ゼミ長: 戦争での生死の運
[2009/05/23 0:52:41] ゼミ長: も
[2009/05/23 0:52:45] 私: 「箸が転がってもおかしい」ってやつね
[2009/05/23 0:52:58] ゼミ長: うーん?うん
[2009/05/23 0:53:04] 私: うーん?だなw
一応まとめておくと、出発点は以下の二つである。
- 笑いにはシグナルとしての性質が強く存在する
- 笑いの源泉は「変」言い換えれば「異常」である
後者は笑いを引き起こすものについての考察で、パターンとその逸脱が必要である。パターンという言葉は範囲が広すぎて嫌なのだが、範囲が広すぎて便利だ。変な顔にしても、ピエロにしても、お笑い芸人の動作にしても、ギャグにしても、”お道化る”ことは、一般的なその場に期待あるいは予想されるコンテキストからの逸脱を、意図的に、そして第三者に意図が明確であるように行うことだと言って良かろう。
飛躍するが、一般にコンテキストからの逸脱があった時、対象が期待される振る舞いをしなかったときに、人間に起きる原初的な感情は、「恐怖」ないし「嫌悪」だということに、あまり異論はないと思う。
形式的には、笑いがこみ上げてくる対象と嫌悪や恐怖を掻き立てられる対象に違いはないのではないか?なぜそのとき笑いがこみ上げてくるのか?
笑いが起きる場合と不安が起きる場合で異なるのは、笑いの場合、そのコンテキストからの逸脱は自分にとって脅威ではないことが重要だろう。実際には存在しない脅威に対して、いちいち防御反応の準備をしていては身が保たないからだ。この辺りまでが、後者の説明である。
そしてここから両者を合流させて飛躍していくのでご注意を。形式的な不安要素が実質的な脅威ではないことを判定して、防御反応が単に起きないにとどまらず、笑いという質的に異なる反応が惹起されるのは、もう一歩踏み込んだ何かが必要だろう。ここで、先ほどの「笑いのシグナル性」に再び触れることになる。笑いは、他者への伝達の手段だ。さらに笑いは「脅威の誤認と訂正」から生まれるとすれば、即ち「笑いとは、脅威が存在しないことを仲間に伝達するための手段だ」ということになりはしないか。
この仮定が正しいなら、笑いが伝染することの説明も容易だ。つまり、自分自身が直接に不安を覚えなくても、自身を伝令役にして、群全体に「脅威が実際には存在しない」メッセージを伝えることには意味がある。
またユーモアがしばしば危機に対処するとき重要だとされるのも頷ける。つまり過剰な不安を取り除き、冷静な反応を取り戻すために「笑い」というシグナルが効果的だということだろう。そしてそれは群全体に共有される。
更に続ければ、ブラックユーモアや風刺がしばしば「全く笑えない話」にもかかわらず可笑しいことも、なんとなく説明できそうではある。
この、(笑い)=(脅威不在を伝達するメッセージ)の図式から見ると、駄洒落のつまらなさはどこから来るのだろうか。
もう先ほどのchat logに書いてあることだが、駄洒落があまりに自明な構造を持つために、不安を引き起こすに至らないのではないだろうか。面白い洒落には、理解するまでに「間」が存在することがほとんどだ、ということもこの説を支持する傍証になる。つまり、この間に構造から不安が発生しているのだ、ということだ。
…とかようなことをせっせと考えて早幾月、先月予てから読みたかったV.S.ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』(原題”Phantoms in the Brain”)を読んだら、ほとんど同じことが書いてあった。推論の原点は彼の場合「笑顔は真顔から威嚇の表情へ変化する途中で止まったものだ」というところにあるのだが。
なんにせよ、それほど大それたアイディアではなさそうだ、というのは嬉しいと共に寂しいものである。以上、笑いの起源と言うアプローチから、笑を分析してみたのだが、皆さんはどんなアイディアをお持ちですか?