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笑止千万

火曜日, 11 月 3rd, 2009

偶には技術とは関係のない、思索的な内容も書いてみようか。と思ったので、書く。 今回のお題は「笑い」である。笑いについての言説は、木許さんの記事で挙がっていた例に限らず、 数多く存在する。笑いというのは、実感として我々「ヒト」を大きく特徴付けているものだし、 人間関係の中で笑いにまつわるエピソードも多い。 どうでもいいが、タイトル「笑止千万」は不可思議な単語である。「笑が止まること甚だしい」と言う字面だが、どう考えても(あざ)笑う時に使うだろコレ。

事の起こりは先学期のゼミにまで(!)遡る。誰か(ごめんなさいどなたか忘れました…。)が、 「下ネタはナゼ可笑しいのか」をいろんな人に聞いて回ってはどうか、という企画を提案した。 この企画自体は特段進むことはなかったのだが、私の中に素朴な「笑?」という疑問符が残った。 特に私が注目したのは、洒落と駄洒落である。 洒落と駄洒落は構造的にまったく同一であっても、面白かったり面白くなかったりする。 その差はどこから来ているのか、があまり自明ではない。 いったい何がそれを決定するのか気になりませんか?皆さん。

そして時々考えること約1月。ふっと思いついたのが5/20前後だったと思う。 んで以下思いついた後、ゼミ長とSkypeしたときのログである。

※この前になんか私が駄洒落を発している [2009/05/23 0:45:50] ゼミ長: ギャグ好きだよね
[2009/05/23 0:46:01] 私: 駄洒落は人類の基本です(嘘
[2009/05/23 0:46:23] 私: まぁマジメな話、最近何故しゃれは面白く、かつ駄洒落はつまらないのかについて考察しているのだ。
[2009/05/23 0:46:28] 私: 面白いモデルが出来つつある。
[2009/05/23 0:46:48] 私: きっとポイントは不安なんだ。
[2009/05/23 0:46:51] ゼミ長: ほう?
[2009/05/23 0:47:44] 私: とっさに理解できない→不安や困惑→理解→不安・困惑の解消→緊張の緩和→群れの仲間への伝達
[2009/05/23 0:47:53] 私: って流れなのかなーと。
[2009/05/23 0:48:08] 私: で、「瞬間的に理解できる」駄洒落は、不安にいたらないので笑いを生まない
[2009/05/23 0:48:25] 私: また、「使い古したギャグ」も先の展開が予想できているので不安にならない
[2009/05/23 0:48:35] ゼミ長: おもしろいじゃない。
[2009/05/23 0:48:47] 私: 笑ってやっぱり本来は群れの仲間への伝達でしょ?
[2009/05/23 0:49:26] ゼミ長: 何年か前の東大ぶんさん後期試験で「何故笑うのか」みたいな問題あったよね
[2009/05/23 0:49:32] 私: へーしらねーや
[2009/05/23 0:50:07] ゼミ長: おれは「不条理」って書いたんだけど
[2009/05/23 0:50:18] 私: 何らかのギャップが存在するのは明らかだよね
[2009/05/23 0:50:24] 私: ズレ
[2009/05/23 0:50:29] ゼミ長: うん。
[2009/05/23 0:50:43] 私: でもそのズレが、一足飛びに笑いにつながるとは思えないんだな
[2009/05/23 0:50:58] 私: あと笑ってなによって話ね
[2009/05/23 0:51:12] ゼミ長: 水木しげるが戦争から帰ったとき
[2009/05/23 0:51:26] ゼミ長: 近所をまわったんだって
[2009/05/23 0:51:30] 私: ふむ
[2009/05/23 0:51:33] ゼミ長: そのとき
[2009/05/23 0:51:48] ゼミ長: 近所の家の息子とかは戦死しているわけで
[2009/05/23 0:51:52] 私: だよなぁ
[2009/05/23 0:52:01] 私: あの人も片腕吹っ飛ばされて帰ってきたわけだし
[2009/05/23 0:52:10] ゼミ長: 「なぜだか知らないがいつも笑ってしまった」って語ってる。
[2009/05/23 0:52:16] 私: なるほど
[2009/05/23 0:52:29] ゼミ長: 冗談も
[2009/05/23 0:52:40] ゼミ長: 戦争での生死の運
[2009/05/23 0:52:41] ゼミ長: も
[2009/05/23 0:52:45] 私: 「箸が転がってもおかしい」ってやつね
[2009/05/23 0:52:58] ゼミ長: うーん?うん
[2009/05/23 0:53:04] 私: うーん?だなw
とまぁこの様に、夜な夜な正しくchatをしたりしなかったりして夜が消えていく日常を送っているのだが、それは兎も角として、私のアイディアはほぼここに収束しているので紹介した。

一応まとめておくと、出発点は以下の二つである。

  1. 笑いにはシグナルとしての性質が強く存在する
  2. 笑いの源泉は「変」言い換えれば「異常」である
詳しく書けば、前者は笑いという感情とその表現についての分析であり、他の感情、例えば怒りや悲しみ、喜びなどと比べて、笑いというものには、それを表現する動作が密接に結びついている、ということである。涙を伴わない悲しみや、発露されない怒りというのは有触れているが、笑いを押し殺した笑いというのは存在自体が難しい。「笑い」という言葉それ自体も、感情と動作が区別されていない。これ以上説明しようとするとドツボにはまりそうなのでこの辺で切り上げる。
後者は笑いを引き起こすものについての考察で、パターンとその逸脱が必要である。パターンという言葉は範囲が広すぎて嫌なのだが、範囲が広すぎて便利だ。変な顔にしても、ピエロにしても、お笑い芸人の動作にしても、ギャグにしても、”お道化る”ことは、一般的なその場に期待あるいは予想されるコンテキストからの逸脱を、意図的に、そして第三者に意図が明確であるように行うことだと言って良かろう。
飛躍するが、一般にコンテキストからの逸脱があった時、対象が期待される振る舞いをしなかったときに、人間に起きる原初的な感情は、「恐怖」ないし「嫌悪」だということに、あまり異論はないと思う。
形式的には、笑いがこみ上げてくる対象と嫌悪や恐怖を掻き立てられる対象に違いはないのではないか?なぜそのとき笑いがこみ上げてくるのか?
笑いが起きる場合と不安が起きる場合で異なるのは、笑いの場合、そのコンテキストからの逸脱は自分にとって脅威ではないことが重要だろう。実際には存在しない脅威に対して、いちいち防御反応の準備をしていては身が保たないからだ。この辺りまでが、後者の説明である。
そしてここから両者を合流させて飛躍していくのでご注意を。形式的な不安要素が実質的な脅威ではないことを判定して、防御反応が単に起きないにとどまらず、笑いという質的に異なる反応が惹起されるのは、もう一歩踏み込んだ何かが必要だろう。ここで、先ほどの「笑いのシグナル性」に再び触れることになる。笑いは、他者への伝達の手段だ。さらに笑いは「脅威の誤認と訂正」から生まれるとすれば、即ち「笑いとは、脅威が存在しないことを仲間に伝達するための手段だ」ということになりはしないか。
この仮定が正しいなら、笑いが伝染することの説明も容易だ。つまり、自分自身が直接に不安を覚えなくても、自身を伝令役にして、群全体に「脅威が実際には存在しない」メッセージを伝えることには意味がある。
またユーモアがしばしば危機に対処するとき重要だとされるのも頷ける。つまり過剰な不安を取り除き、冷静な反応を取り戻すために「笑い」というシグナルが効果的だということだろう。そしてそれは群全体に共有される。
更に続ければ、ブラックユーモアや風刺がしばしば「全く笑えない話」にもかかわらず可笑しいことも、なんとなく説明できそうではある。

この、(笑い)=(脅威不在を伝達するメッセージ)の図式から見ると、駄洒落のつまらなさはどこから来るのだろうか。
もう先ほどのchat logに書いてあることだが、駄洒落があまりに自明な構造を持つために、不安を引き起こすに至らないのではないだろうか。面白い洒落には、理解するまでに「間」が存在することがほとんどだ、ということもこの説を支持する傍証になる。つまり、この間に構造から不安が発生しているのだ、ということだ。

…とかようなことをせっせと考えて早幾月、先月予てから読みたかったV.S.ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』(原題”Phantoms in the Brain”)を読んだら、ほとんど同じことが書いてあった。推論の原点は彼の場合「笑顔は真顔から威嚇の表情へ変化する途中で止まったものだ」というところにあるのだが。
なんにせよ、それほど大それたアイディアではなさそうだ、というのは嬉しいと共に寂しいものである。以上、笑いの起源と言うアプローチから、笑を分析してみたのだが、皆さんはどんなアイディアをお持ちですか?

CW and CCW

土曜日, 7 月 18th, 2009

ClockWise&CounterClockWiseでゴザイマス。
さてさて、またも日記を書こうとしていたら日付が変わってしまいましたが、今回は今日の昼間にボーっとしていたら思いついたこと。
当初はLong and Winding Roadって題名で過去を振り返ろうという予定だったんですが、流れました。楽な方に。
んで図形科学2の課題でジェネバ歯車作ってるんですが、それだけだとオモシロミが無いので、折角だから適当な歯車と針を加えて時計モドキでもつくろーか、とえっちらおっちらやってます。
意外に歯車を作るというのが大変でして、針は一本になりました。
しかも減速比を間違えていて、歯車から作り直さなくてはいけないことに今日作業を終えて気付いたorz
愚痴はともかく、作業をすべく学校へ移動する前に家でボーっとしていたら、ふと、「時計回りって新しい言葉だよなぁ」と思ったんですよ。

ガリレオっていつの人でしたっけ?まぁいいや。とにかく、針が回る機械式の時計が登場するのは、大雑把に言えば16世紀以降ですよね。多分。
たしか振り子時計の発明者はガリレオの弟子のホイヘンスでしょー?
まぁ彼の発明した振り子時計に今のような針と文字盤があったかは知りませんが。
それから、ヴェルサイユ宮殿なんかに部屋ごとにやたら華美な時計が置いてあるのは、あの時代(17世紀)にもまだ機械式の時計は決して一般的とは言えないものだった、逆に言えば富と権力の象徴足りえた、ということでしょう。
じゃあ時計回りっていつから時計回りになったんだろーか。そして時計回りはどうやってde facto standardが決まったのだろうか。
論理的には、どっち回りでも同一の機能のものが作れますよね?
少なくともメカニカルにはどちらでも良い筈でしょう。

ぼーっと思考は飛躍します。
機械式の時計が登場する以前の時計といえば…蝋燭や線香を使った火時計とか水が落ちる速度を使った水時計ですか。
んーでも回転あー日時計を忘れていたw
おお。そうか北半球では日時計の針(影)は時計回りだなぁー。
と言う事は、初期の機械時計の製作者達は、較正を日時計を使ってやっていて、だからきっと機械時計の針の回転も「日時計周り」が「時計回り」になったのに違いない。
そうするとClockWiseに相当する言葉は古代ギリシャローマぐらいからあっても不思議ではないなぁ。

となんか一人で納得したのでした。
南半球では日時計の回転が逆になるってのをきちんと意識したのは初めてで、何か新鮮。
まぁ、普段からこんなカンジで私はボーっと思考しているのか、していないのか。
貴方の清き一票が私の思考を動かすとか動かさないとか。

僕本~Amazonアフェリエイト一番乗り~

日曜日, 6 月 21st, 2009

だぞー。

今回紹介するのは、デーヴィッド・マコーレイ作の、『道具と機械の本』。私の人生を間違いなく左右している本だ。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。

私は実は画像に写っている新版よりも、旧版の方が好きなんだけど…。
どちらにしろ、面白い本なのは間違いない。本というよりは絵本かな。
斜面に始まり、ねじ、てこ、滑車、ピストンとクランク、…火の利用…電磁気力、核分裂、核融合まで図で解説が書いてある!!!
小学校3年生か4年生の時に小学校の図書室で見つけて、小学生には重い大型本だったんだけど、正しく貪るように読みましたね。
原点からは大分離れている(これを読む以前からそういうものは好きだった)けど、これほどいい本にめぐり合えなかったら少しは方向がずれてたかな。
勿論子供向けの本、厳密さはそれほどでもないけど、今読んでも十分面白いのは、紹介する道具の選択が冴えているのと、なぜかいつもマンモスが出てくる短い挿話の中で、道具がはたらく時に人間が利用している様々な現象のエッセンスが、直感的に掴めるよう書かれ(描かれ)ているところが素晴らしいんだろう。
小学生でも理解できるレベルで、これほど広範囲を扱い、楽しく、かつかなり正確に書いてある。
著者(本業は建築家)の知識の範囲もさることながら、綿密な下調べをうかがわせる凄い本です。
中々こういった本を日本人は書かないんですよねー。(偏見だ)

新版では、旧版になかった「ディジタルワールド」という章が追加され、若干他の章のページが削られています。
しかしこの新章は、残念ながらコンピュータを理解していない人が読んでも良く分からない。
他の章のレベルが高すぎて、この章はとても残念な感じになっています。
この本を小学校6年生ぐらいに親にせがんで買ってもらったのですが、当時は新版に追加された章のイメージが湧かなかった…。
応用的にどう使われているかはよく分かるのですが、この本の魅力である原理的な部分が良く分かる、って所までは行ってません。
おそらくマコーレイ氏はコンピュータを理解していたのですが、コンピュータの発達に合わせて急遽追加したため、説明の仕方を十分に寝る時間が無かったのではないか、と不遜なことを考えています。
コンピュータの原理を別の本で大体理解した高校一年生くらいになって読み返すと、「あーそういうこと」と頷けるのですが、小学生当時の知識ではちょっと厳しかった…。
コンピュータを理解した本についてはまた別の機会に譲ります。

書評『好き好き大好き超愛してる』

火曜日, 6 月 9th, 2009

『好き好き大好き超愛してる』を読んだ。
私がおよそ読みそうにないタイプの本であるし、 実際明日(下書きをしているうちに日付が変わらないといいのだが)に備えるという目的がなければ、 多分私は読まなかったであろう本だ。

…ストレートに書くと酷評に見えるかもしれないので、ちょっとソフトに書こうか…。
この発言が既に酷評とか言わないように。まぁ気を取り直していきましょう。
本を開いて最初の感想は、「…行間、広くね?」だった。正直驚いた。
まぁ飛ばし読み(←警告1!)するのには適していると思ったが、ちょっとスカスカじゃね?とどうしても思ってしまう。
根が貧乏性なのだろう、同じ値段ならよりページ数が多くて文字数も多いほうがお得な感じがしてしまうのだ。
ついでに言えば、全体のデザイン、表紙、ページ数を表記した飾り文字などを見るにつけ、
あからさまに”女性向け”に作ってありますね。この本。(←警告2!)
その段階で、「覚悟のない男性読者」であるワタクシメにはダメージがでかかった。(←警告3!)

基本的に、私は物語の類については公の場でネタばれしないことにしているのだが、
今回は多少仄めかすことにしよう。許して誰かさん。
形式としては、短編集に近い。”恋愛”をテーマにしたと思しき短編 (思しいのは私にゃ恋愛が分からんからであって、決して「恋愛を書いてない」とか言いたいわけじゃないからね!)が、6つ位あって、 その内3つは明らかに一つのストーリーを分割してあるのだが、残りと”本体”の関係は定かではない。
“本体”の主人公である小説家の書いた作品と読めないこともないのだが、なんかちょっとちぐはぐ。よく分からない。
すべての共通点は、「男女の恋愛を扱ってい」て、「女性が死にそう」あるいは「女性が死ぬ」。で、「男は肉体的にはぴんぴんしたまま残る」。
悲恋ってやつなんでしょうか。

書評を書いている内にどんどん分析的になっていく自分に嫌気がさしているのだが、まぁ自分Zの暴走を暫くは放置しようか。
恋愛を外的要因で”破壊”して、何が恋愛なのかとか、成立要件(妙な表現だ)とかを明らかにするってことなんでしょうかね?
あとは”祈り”ですか。願望を吐露することに意味があるのだ、みたいな?
いつも言い訳がましい文章を書く私ではあるが、ここまで言い訳がましいのも珍しい…。

私は、作中で登場した”ASMA(アズマと読ませる)”や”アダムとイヴのろっ骨融合”といったSF的ガジェットに目を奪われ、登場する”神”との戦争のような、 物語の背景にばかり注意を向けていた。全くどうでもいいが肋骨は漢字で書いて欲しい。
世界観とか設定好きの典型的SFスキーとしては、「キリスト教ネタか!?」とかドキドキワクワクしたのに詳細が語られず大変残念である。無念。
一般的なこの本の読者層からすれば、それこそこういう”些細な”ギミックはどうでも良いのかなー。

こういう、女性にターゲットを絞った(は言過ぎですかね?)本が、大学の読書サークルから多くの票を集めたとなると、極単純な推論をすれば、こういったサークルの構成員には女性が多いと言うことに。
幾ら何でも安直すぎだって?いや意外に安直な推論が当たるから世の中恐ろしい。(←警告4!)

あと目に留まった、というよりも気に入ったのは、主人公?の小説家と、その恋人(故人)の中学生の弟の会話の中で登場する、「友達がメタ化している」と言う表現とか、その辺のくだり。
私の解釈では、「友達」という関係がどういうものかに関する暗黙の了解が出来上がっていて、その枠にはまった「友達」という役を誰もが演じていると言うか、まぁそんな話らしい。
概念的な形式が実際の人間関係を規定しているみたいな。これは中々面白かった。

ただひたすら恋愛が分からんSFヲタの愚痴みたいな文章になってしまったけれども、普段小説を読む時にはこんな感じで読んでます。多分。
ここまで物語の流れに入り込んでないのもそれはそれで珍しいんだけど(←警告5!)、まぁそれは文章の責任よりも、私自身が気が急いていて立読みの斜め読みで1時間程度で読んだが故って部分が遥かに大きいです。
弁護に成っている様な成っていない様な…。

果たしてこんな評価を下す人物が某企画に参加していいのか!?甚だ怪しい所ではありますが、深く突っ込まないで下さい。 最後に全くどうでも良いことをもう一つだけ(コロンボか!)。このタイトル、変換するといつも「寵愛してる」になって笑ってしまう。どこの光源氏だ(笑)。お後が宜しくないようで。

自己紹介について

木曜日, 4 月 30th, 2009
自己紹介については、ココを見てちょんまげ。