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笑止千万

火曜日, 11 月 3rd, 2009

偶には技術とは関係のない、思索的な内容も書いてみようか。と思ったので、書く。 今回のお題は「笑い」である。笑いについての言説は、木許さんの記事で挙がっていた例に限らず、 数多く存在する。笑いというのは、実感として我々「ヒト」を大きく特徴付けているものだし、 人間関係の中で笑いにまつわるエピソードも多い。 どうでもいいが、タイトル「笑止千万」は不可思議な単語である。「笑が止まること甚だしい」と言う字面だが、どう考えても(あざ)笑う時に使うだろコレ。

事の起こりは先学期のゼミにまで(!)遡る。誰か(ごめんなさいどなたか忘れました…。)が、 「下ネタはナゼ可笑しいのか」をいろんな人に聞いて回ってはどうか、という企画を提案した。 この企画自体は特段進むことはなかったのだが、私の中に素朴な「笑?」という疑問符が残った。 特に私が注目したのは、洒落と駄洒落である。 洒落と駄洒落は構造的にまったく同一であっても、面白かったり面白くなかったりする。 その差はどこから来ているのか、があまり自明ではない。 いったい何がそれを決定するのか気になりませんか?皆さん。

そして時々考えること約1月。ふっと思いついたのが5/20前後だったと思う。 んで以下思いついた後、ゼミ長とSkypeしたときのログである。

※この前になんか私が駄洒落を発している [2009/05/23 0:45:50] ゼミ長: ギャグ好きだよね
[2009/05/23 0:46:01] 私: 駄洒落は人類の基本です(嘘
[2009/05/23 0:46:23] 私: まぁマジメな話、最近何故しゃれは面白く、かつ駄洒落はつまらないのかについて考察しているのだ。
[2009/05/23 0:46:28] 私: 面白いモデルが出来つつある。
[2009/05/23 0:46:48] 私: きっとポイントは不安なんだ。
[2009/05/23 0:46:51] ゼミ長: ほう?
[2009/05/23 0:47:44] 私: とっさに理解できない→不安や困惑→理解→不安・困惑の解消→緊張の緩和→群れの仲間への伝達
[2009/05/23 0:47:53] 私: って流れなのかなーと。
[2009/05/23 0:48:08] 私: で、「瞬間的に理解できる」駄洒落は、不安にいたらないので笑いを生まない
[2009/05/23 0:48:25] 私: また、「使い古したギャグ」も先の展開が予想できているので不安にならない
[2009/05/23 0:48:35] ゼミ長: おもしろいじゃない。
[2009/05/23 0:48:47] 私: 笑ってやっぱり本来は群れの仲間への伝達でしょ?
[2009/05/23 0:49:26] ゼミ長: 何年か前の東大ぶんさん後期試験で「何故笑うのか」みたいな問題あったよね
[2009/05/23 0:49:32] 私: へーしらねーや
[2009/05/23 0:50:07] ゼミ長: おれは「不条理」って書いたんだけど
[2009/05/23 0:50:18] 私: 何らかのギャップが存在するのは明らかだよね
[2009/05/23 0:50:24] 私: ズレ
[2009/05/23 0:50:29] ゼミ長: うん。
[2009/05/23 0:50:43] 私: でもそのズレが、一足飛びに笑いにつながるとは思えないんだな
[2009/05/23 0:50:58] 私: あと笑ってなによって話ね
[2009/05/23 0:51:12] ゼミ長: 水木しげるが戦争から帰ったとき
[2009/05/23 0:51:26] ゼミ長: 近所をまわったんだって
[2009/05/23 0:51:30] 私: ふむ
[2009/05/23 0:51:33] ゼミ長: そのとき
[2009/05/23 0:51:48] ゼミ長: 近所の家の息子とかは戦死しているわけで
[2009/05/23 0:51:52] 私: だよなぁ
[2009/05/23 0:52:01] 私: あの人も片腕吹っ飛ばされて帰ってきたわけだし
[2009/05/23 0:52:10] ゼミ長: 「なぜだか知らないがいつも笑ってしまった」って語ってる。
[2009/05/23 0:52:16] 私: なるほど
[2009/05/23 0:52:29] ゼミ長: 冗談も
[2009/05/23 0:52:40] ゼミ長: 戦争での生死の運
[2009/05/23 0:52:41] ゼミ長: も
[2009/05/23 0:52:45] 私: 「箸が転がってもおかしい」ってやつね
[2009/05/23 0:52:58] ゼミ長: うーん?うん
[2009/05/23 0:53:04] 私: うーん?だなw
とまぁこの様に、夜な夜な正しくchatをしたりしなかったりして夜が消えていく日常を送っているのだが、それは兎も角として、私のアイディアはほぼここに収束しているので紹介した。

一応まとめておくと、出発点は以下の二つである。

  1. 笑いにはシグナルとしての性質が強く存在する
  2. 笑いの源泉は「変」言い換えれば「異常」である
詳しく書けば、前者は笑いという感情とその表現についての分析であり、他の感情、例えば怒りや悲しみ、喜びなどと比べて、笑いというものには、それを表現する動作が密接に結びついている、ということである。涙を伴わない悲しみや、発露されない怒りというのは有触れているが、笑いを押し殺した笑いというのは存在自体が難しい。「笑い」という言葉それ自体も、感情と動作が区別されていない。これ以上説明しようとするとドツボにはまりそうなのでこの辺で切り上げる。
後者は笑いを引き起こすものについての考察で、パターンとその逸脱が必要である。パターンという言葉は範囲が広すぎて嫌なのだが、範囲が広すぎて便利だ。変な顔にしても、ピエロにしても、お笑い芸人の動作にしても、ギャグにしても、”お道化る”ことは、一般的なその場に期待あるいは予想されるコンテキストからの逸脱を、意図的に、そして第三者に意図が明確であるように行うことだと言って良かろう。
飛躍するが、一般にコンテキストからの逸脱があった時、対象が期待される振る舞いをしなかったときに、人間に起きる原初的な感情は、「恐怖」ないし「嫌悪」だということに、あまり異論はないと思う。
形式的には、笑いがこみ上げてくる対象と嫌悪や恐怖を掻き立てられる対象に違いはないのではないか?なぜそのとき笑いがこみ上げてくるのか?
笑いが起きる場合と不安が起きる場合で異なるのは、笑いの場合、そのコンテキストからの逸脱は自分にとって脅威ではないことが重要だろう。実際には存在しない脅威に対して、いちいち防御反応の準備をしていては身が保たないからだ。この辺りまでが、後者の説明である。
そしてここから両者を合流させて飛躍していくのでご注意を。形式的な不安要素が実質的な脅威ではないことを判定して、防御反応が単に起きないにとどまらず、笑いという質的に異なる反応が惹起されるのは、もう一歩踏み込んだ何かが必要だろう。ここで、先ほどの「笑いのシグナル性」に再び触れることになる。笑いは、他者への伝達の手段だ。さらに笑いは「脅威の誤認と訂正」から生まれるとすれば、即ち「笑いとは、脅威が存在しないことを仲間に伝達するための手段だ」ということになりはしないか。
この仮定が正しいなら、笑いが伝染することの説明も容易だ。つまり、自分自身が直接に不安を覚えなくても、自身を伝令役にして、群全体に「脅威が実際には存在しない」メッセージを伝えることには意味がある。
またユーモアがしばしば危機に対処するとき重要だとされるのも頷ける。つまり過剰な不安を取り除き、冷静な反応を取り戻すために「笑い」というシグナルが効果的だということだろう。そしてそれは群全体に共有される。
更に続ければ、ブラックユーモアや風刺がしばしば「全く笑えない話」にもかかわらず可笑しいことも、なんとなく説明できそうではある。

この、(笑い)=(脅威不在を伝達するメッセージ)の図式から見ると、駄洒落のつまらなさはどこから来るのだろうか。
もう先ほどのchat logに書いてあることだが、駄洒落があまりに自明な構造を持つために、不安を引き起こすに至らないのではないだろうか。面白い洒落には、理解するまでに「間」が存在することがほとんどだ、ということもこの説を支持する傍証になる。つまり、この間に構造から不安が発生しているのだ、ということだ。

…とかようなことをせっせと考えて早幾月、先月予てから読みたかったV.S.ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』(原題”Phantoms in the Brain”)を読んだら、ほとんど同じことが書いてあった。推論の原点は彼の場合「笑顔は真顔から威嚇の表情へ変化する途中で止まったものだ」というところにあるのだが。
なんにせよ、それほど大それたアイディアではなさそうだ、というのは嬉しいと共に寂しいものである。以上、笑いの起源と言うアプローチから、笑を分析してみたのだが、皆さんはどんなアイディアをお持ちですか?

NINSシンポジウム08事前レポート

水曜日, 9 月 23rd, 2009

遅くなってごめんなさい。
また本記事は大変読みにくい超長い構成になっていますので、 直下に設けました目次をご利用下さい。

前書き-という名の言い訳-

NINSシンポジウムの取材記を書く時、常に考えるのは「どこまでネタバレをすべきか?」という事である。
そして次に悩むのは、「一体どこまで短くすべきか」という事である。
「情報の密度の高い文章を書けないだけ」と言えばそれまでだが、長くなることなること。 という訳で今回も大変長い。個人blog部分に書けるからといって、自重しないモード全開である。どーでもいい話もかなり混じっているので、注意されたい。
上の目次及び各記事先頭についているナビゲータでは、取材記事部分本体へ直接飛び、前と後にあるどーでもいい話は飛ばされるので、活用されたい。
何か冷静に読み返すと、後の記事ほど暴走が加速している気がする。気のせいだといいなぁ。

朝九時ごろに自宅を出、一路京都を目指す。無事予定通りの時刻に新祝園に着く。バス停で何気なくバスを待っていたのだが…隣に居るのは遠藤氏ではないか!ってか先に移動しているはずの”交通の便がいい組(内藤氏/朝倉氏/西田氏)”はどこへ?
とにかく二人で先にATRまでバスで移動してしまうことに。
遠藤氏のiPhoneが活躍し、”先行しているはず組”とも連絡が取れた。敷地の外、看板の前あたりで待つ。間もなく合流。時間があったので、道路の向かい側のけいはんなプラザになんとなく移動し、残りのメンバーを待つ。日時計が巨大だった。
無事合流を果たし、いざ取材へ。

その1-川人 光男氏-

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@ATR研究所 2009/08/26
今回の取材で最初にお話を伺うのは、ATR脳情報研究所所長の川人光男(かわと みつお)氏。

計算論的神経科学を打ち立てようではないか、というお話だった。

AIやロボット工学が生まれてから幾星霜(は言い過ぎだが)、私達の知っているロボットはアトムやドラえもんから程遠い。四次元ポケットや超小型原子炉は置いて置くとしても、人間くらいのサイズで人間並みの運動能力を持つロボット、あるいは人間大で人間のような思考が出来る人工頭脳、どちらもまだまだ夢のような話だ。
もちろん、人間は1GFLOPSなんて計算速度は持ってないし、人間には出来ない運動が出来るロボットだって存在する。しかし、「人間を模倣する」ことはどちらについてもとても難しい。ここから、従来の(広義の)人工知能研究やロボット工学、あるいは生理学や脳神経科学の路線をそのまま延長しても、「人の理解」あるいは「人の再現」は難しいのではないか?と氏は言う。
その立場から氏が提唱するのが、計算論的神経科学である。計算論的神経科学が如何なるものであるか、は講演を聴いて頂くとして(講演終了後に追記するかも)、そのための強力なツールになるのがBMI:Brain Machine Interfaceである。

BMIは様々な方法で脳から直接に情報を取り出し、それを機械などへの入力に用いる技術の総称である。この場合”直接に”とは、筋肉の運動を介さなくても良い、という意味で、必ずしも「脳に電極を刺す」という意味ではない。脳の情報を取り出す方法にはいくつかある。つまるところ脳の物理的な状態変化を測定する訳であるが、fMRI、NIRS、MEG、EEG、といった代表的な方法がある。しかしいずれも一長一短あり、どれか一つだけで何でも出来る、とは行かない。その為複数の方法-と統計的手法-を組み合わせることで、機能を補完し、空間時間分解能の双方を高める研究が行われている。BMIの直接的な応用として、医療で障害を持つ方の機能を代償する装置(例えば義手)やリハビリテーションを支援するシステムの構築が期待されている。

とは言え、氏が何度か強調されていたのは、氏の興味は「人間の理解、脳の理解」にある、という事である。
氏が「脳を創る」アプローチにこだわっているのは、「脳に関する生理学的な、あるいは神経科学的な記述の蓄積のみで脳を理解したといえるだろうか」という疑問と、「脳ができるのと同じ作業を別のアルゴリズムによって解いたとしても、それは脳の理解とは言えない」という信念からだ。
であるが故に、脳型の情報処理と、人間型の出力装置とを組み合わせて研究していらっしゃるのである。

さてその他にも面白かったお話を雑多に書いて行こうと思う。
まずはCB-iの話。CB-iは敢えてモーターではなく油圧と空気圧で動かしている。
これは「人間らしいロボット」を実現するためのコダワリで、これによって「柔らかい」ロボットを実現している。
一般的なヒューマノイドロボットは、電動である。しかしモーターの回転は直接関節の駆動に使うにはパワー(トルク)がない。その為、減速ギアがどうしても必要になる。しかし梃子の原理で増幅されているから、逆に関節に外から力を加えてもモーターはほとんど回らない。
つまり、人間のように外からの力に合わせて筋肉や関節が曲がることはなく、大きな力が加わればロボットは壊れてしまう。また人間と一緒に活動することを考えると、人間が加えた力に対してロボットが変形しなければ、人間が怪我をする。(もちろんソフトウェア的に実現する方法もあるだろうけど)構造的に実現しましょう、という話でした。

従来の脳科学と、BMIと、これからの脳科学についての話。
脳科学では、普通、外に現れた肉体的な動作や、情報処理活動、あるいは認知的な処理などをする時、脳のどんな部位が活動するのか、ということを調べる。そうやって、脳どんな部位がどんな機能を負っているかを特定する。逆にBMIでは、ある脳活動を測定した時、それはどんな行動や思考を惹き起こすかを予想しようとする。そうやって、脳活動から行動を推定しようとするのである。
外から観察して分かること、あるいは被験者の申告によって分かること、をYとする。
そして脳活動をXとしよう。
前者、従来型の脳科学は、Yを見てそれと同時に起きるXを調べることで、脳を調べている。
後者、BMIを利用した研究は、Xを見て、意図したYを推定しようとしている。
前者と後者は丁度鏡に映したように反対なのがお分かり頂けるだろう。
さてここで、同じXとYの組について、両方のアプローチで導かれる脳の活動部位を比較してみると、驚くべきことに25%も一致していない、とのことである。
つまりXからYでも、YからXでも、どちらでも不完全な結果しか得られないのだ。そこで氏は、これからの脳科学はXとYの相互作用を問題にしなくてはいけないのだ、と主張するのである。

ここからは私の感想である。
実は森本淳BRI研究室長と佐藤雅昭計算イメージング研究室長にもお話を伺ったのだが、省略します。ご免なさい。佐藤氏は複数の方法での脳測定を組み合わせる統計解析手法の研究者、森本氏はロボットの制御アルゴリズムなどの研究者でCB-iの解説等をしていただいた。
去年の夏にもお会いしたのだが、川人氏は飄々としたカッコイイオジサンである。
結構キツイこともさらっと言ったりする。「もう私も年だからこんなこと(脳科学の新パラダイムの提唱)なんかが言える」などと笑っていた。
言葉遣いの所々に出身分野の物理を感じさせる人だった。今回、こういった研究者の方の出身分野を感じることが多々あった。
脳の分野が、今生まれつつある分野であり、言わば脳科学出身の人がいないからということと、脳が極めて難しい対象で、様々な視点とアプローチから切り込んでいる人たちがいることを反映しているのだろう。

ATRを19時前にお暇し、東京帰還組と分かれ千里中央へ移動。
ホテルへチェックインして荷物を置き、夕食へ。
うろうろして定食屋さんへ入る。その後コンビニに寄ってからホテルへ戻る。
なぜか四人揃ってようつべで面白動画を見る。何でだろう…。
そんなこんなで夜も更け、みんな元気がなくなってきたところで解散。
二日目は阪大である。ホテルから近いので朝は遅め。バイキングをつめこみ、更に途中サンドイッチを買ったりしつつ、モノレールに揺られて阪大へ移動する。
途中太陽の塔を眺める。実物を見たのは初めて。
取材を始める前になにやら立花さんが電話をしている…。え?後で激光が見られるかもしれない?ほんとですかそれ。
何はともあれ時間が迫っているのでまずは予定通り取材に伺う。お邪魔したナノバイオロジー棟は新しい綺麗な建物で、エントランスに置かれたDNAを意識したタイルとソファが印象的だった。

その2-柳田 敏雄氏-

@大阪大学 2009/08/27
柳田氏は、エネルギーの切り口から、話を始められた。
あなたがこの記事を見ているPCは何Wだろうか?因みに我が家のPCは135Wだそうだ。もちろんピーク電力だと思うけど…。
対して、人間の脳は1Wである!!もっと少ないかもしれないとか。
成人男性の一日の消費カロリーは一般に2500kcalなんて数字が良く出てくる。これから単純計算すると、消費エネルギーは121Wである。これだけでもPCより少ない。
当然、これは全身である。ので、通説にしたがって考えると脳の消費エネルギーは25Wぐらい。とはいえこれは生命維持、つまり細胞の代謝に費やされているエネルギーであって、計算に使っているエネルギーはもっと少ないはず。
で、脳内の思考活動に伴ってどれだけ温度が変化するか(なんでも最後は廃熱になります)をMRIで測定してみた所…。先述の通り1Wとかそれ以下とか、まぁそんなスケールになっちゃうらしい。

言うまでもなく、人間の脳は”超”複雑系だ。想像しがたいが、50兆のシナプスがある。
さてこのシナプスがOnとOffしかないとして、パターンの数はざっと2^50e12=(2^50)^1e12≒(1.12*10^15)^1e12≒10^(15兆)だ。うーんすごい。
柳田氏が情報系の人に単純にこれと同じだけのパターンを実現する電子回路の消費電力を聞いた所、「兆になったらもう一緒だから10^(15兆)Wだね」とのこと。
宇宙のエネルギー総量は10^70Jだそうなので、なんというか桁違いもいいとこである。

ここから氏は、生物の神経系が問題を解くためのシステムは、エネルギーの観点から見て、全く既存のストアドプログラム方式のコンピューターとは異なるものである、と結論付ける。チューリングマシンや、他の形式システムのような、アルゴリズミックなものではない、もっと「いい加減」で「間違える」けど「省エネ」で「行き当たりばったり」なシステムなのだと。

そこで氏が提案するのが、「ゆらぎ」を取り入れる、というアイディアである。ノイズを除去するのではなく、その存在を受け容れ、さらにノイズを入力の一部として活用し、探索的な方法で解を見つけ出すようなシステムが、動物の脳内では使われているのではないか、というのである。
そのためにマクロスケールでは信号に対して小さくなりがちなノイズを「積極的に」作ることさえしているらしい。

具体的な揺らぎを使ったプロセスの紹介や応用例は講演でお聞きいただくとして、以下また興味深かった話など。

まず一つは、生体システムは群知能的というか、多数のエージェントが集団として機能を実現している。そして面白いのは、「誰かがサボっても他の誰かが頑張れば全体としては上手く行く」という氏の指摘である。冗長で非効率的だけどロバストというか、頑丈なシステムが実現される鍵は、正にその”いい加減さ”にあるという。関西弁の”ええ加減”の方が近いかもしれない。
氏が加えて指摘するのは、単に超並列的に多数の要素がてんでバラバラに振舞ってもダメで、階層的に下位の要素群が上位の指示、というよりも”好み”を実現するような動作をすることで、全体として目標を実現するシステムなのではないか、とのことである。
この上位が提示する目標を、下位のシステムが探索的に求める訳だが、全部が全部上手く行かなくても、下位のシステムのどれか一つでも目標を達成してくれればそれで十分、とできるある種の余裕が、生体システムの頑丈さを生んでいると言うことだろうか。

別のトピックで、かなり微妙かつ難しいのだが、データと情報の違いって何だろうか。
一般に情報処理といえば、この二つは基本的に区別されない。私が「”記号”とその上に載っている”意味”の違いですか」と質問した所、「人によって定義は違うが、データから情報を区別する要件として、受け手に”意味が取れる”とか、”好ましい”とか、”重み付けがある”ことが挙げられることが多い」とのこと。どうやら、情報にはある種の主観性が伴う、ということらしい。認識する主体が必要、といった方が適切かもしれない。
翻れば、データは記号列の様な、客観的なある程度実体を持つものだと考えてよさそうだ。
この辺は私の解釈がかなり入っているので正確性は保証できないが…。分かってない人による不適切な例かもしれないが一応書いておくと、
例1.二つの言語で同じ意味の文を書けば、記号としては異なるがそれから受け取れるメッセージは同一である。
例2.あるドット絵を縦横それぞれ2倍に拡大しても人間には同じ絵にしか見えないが、ファイルサイズは変わる。
人間は形式的な表現からそれとある程度分離した情報を取り出せるのだ、というニュアンスがお分かりいただけただろうか。

もしデータではなく情報を直接処理することができるアーキテクチャを見出せれば、今のコンピュータにとっては難しい問題も、巧みに解く全く新しい情報処理装置が生まれるかもしれない。ただ生命型の情報処理と、機械型のデータ処理はトレードオフの関係でどっちもと言うのは贅沢らしい。

感想。エネルギー論という切り口は極めて新鮮だった。
氏曰く、「生物系の人は複雑さに慣れ過ぎている、工学系の人は複雑さを諦めすぎている」とのこと。関西弁を操る関西人であり、タイガースファンらしい。
切り口からしてそうだが、電子デバイスと生体素子をアナロジーとして、あるいは抽象的な機能を抽出して比較するのではなく、物理的実体のスケールやエネルギー、ノイズといった”役者”が登場する辺りにエレクトロニクスのバックボーンを感じる。

私も何だかんだで情報とデータを混同する傾向があるので、その辺も興味深かった、というのはもう書いたか。この「データと情報」の議論は延長の仕方によっては「普遍的な情報の表現」とかいう話が出てきそうであるが、今回の話を聞いた限りでは、個から切り離せない”主観”や”価値判断”が関連してくるので、そうではなさそうである。
ん?自分で書いた文章を読み返してみると、”情報”を処理するシステムには何らかの”主体性”が必要ということに…なるのだろうか。

人工物と比較するといつも思うことではあるけれど、自然の造形はなんというか偉大である。

取材の後、同キャンパス内の大阪大学レーザーエネルギー学研究センター(ILE-OU)の慣性核融合実験棟にお邪魔する。その話については番外編に書きました。
かなり長時間何だかんだと見て周り、結局この日も大阪大学を出たのは19時を回っていたような…(ちゃんと覚えてません)。
昨日に引き続いての泊組4名は、「折角大阪来たんだし」とよく分からない理由から道頓堀をぶらぶらした。なんなんだあの観覧車は。なんなんだあのギター?ヴァイオリン?エレベータ?フリーフォール?とか思いつつ、お疲れ気味だったので割とさっさと寝ました。てか潰れました。
前日午前に栄田さん提案で購入した正規格安切符(…切符ではないらしいが)で新幹線に乗り、名古屋へ移動。そこからは名鉄で東岡崎へ。
久しぶりのNINS岡崎共通キャンパスへ歩く。残暑が厳しい日だったのか、夏が暑い岡崎だからか、暑い暑い。日陰が恋しい炎天下を歩く。後で伊佐氏から聞いたがこの辺ではミカンを作っているらしい。そりゃ暑いわ。このキャンパスには中に橋があるんですよね。門を入って入構手続きをし、生理研へ。

その3-伊佐 正氏-

@生理学研究所 2009/08/28
伊佐氏の話では”盲視”という現象が重要な役割を持つ。孟子ではない。
読んで字の如く、”見えないのに見えている”現象である。

人間はモノをどこで見ているだろうか。勿論眼球であり、網膜である。しかし、ある意味で「見ているのは脳」なのだ。脳がなければ当然何も”見えない”。網膜に像が映っていても、である。さて通常眼球に入ってきた光は、網膜上の細胞の働きで神経の信号に変換される。それが視神経を伝わって一旦交わり、右視野と左視野に分かれて左視野の情報は右脳に、右視野の情報は左脳に、それぞれ送られる。
右視野と左視野に分かれた後、途中で左右の脳の間にある視床に寄り道をして、脳の一番後ろ辺りにある一次視覚野に入る。多くの基本的な視覚情報処理は一次視覚野(V1)で行われると考えられている。
この後、視覚情報はより”高次の”視覚野へと受け渡され、更に高度な処理をされて、その結果が意識に上ることになる。
事故や病気(典型的には脳梗塞など)によってV1を損傷すると、当然ながら視覚に障害が出る。例えば片側のV1が破壊されてしまえば、破壊されたのと反対側の視野が失われる。(反対になるのは眼球で像が逆転しているから)

盲視とは、このようにV1を損傷した患者の中には、不思議なことに、見えていないにもかかわらず”見えている”人がいる、という現象のことである。
より正確に書けば、「視覚的な情報は受け取っているが、それを意識することができない」ことのようだ。
どうやってそんなことを調べるのか?といえば、例えば患者に選択肢を提示した上で、見えないはずの視野に何かを見せ、選択肢からどんな刺激だったかを選んでもらう、といった方法が使われる。驚くべきことに、見えていないのに偶然とは言えない正解率で正解する、というのが盲視現象である。

ここでこういった症状を呈する人にも、「全く何にも見えていない」と言う人と、視野に稀には「何か感じる」けれどもそれは”見える”とは違う、と言う人と二種類いるらしい。
いずれにしろ、通常の視覚体験を伴わずに、「見えている」としか思えない行動、つまり視覚的な情報を元に起こしているとしか思えない行動、を起こす事が可能な人がいるのである。

どうやらこれには視神経からの情報を受け取って、眼球運動に関連しているような脳の領域、上丘が関わっているらしい。V1を介さずに、高次の処理系へ視覚情報を渡す別経路が存在するのだ。
別経路からの情報を使って、視覚的な情報に基づいた行動を起こすことはできる、 しかしその視覚情報を認識していることを意識できない。そう、「意識」できない。では意識とは何で、どのように生じ、どんな意味や機能を持っているのだろうか。
氏は、盲視はそんな疑問に答える鍵になるかもしれない、と言う。
以下詳しい話は講演をお聞き頂くとして、そのほか面白い話とか。

上丘は進化的に古い領野で、両生類や爬虫類、魚類は結構ここをメインに使っているらしい。ネコはV1が壊れても、行動的には余り変化がないそうだ。つまり、V1を通さない経路が発達していて、余り困らないらしい。びっくりだ。
それに対して霊長類になると、明らかにV1の損傷は行動に変化をもたらす。
視覚処理から行動への間に、意識とか、そういった高次脳機能が関わるようになっていると言うことだろうか。

意識についての氏の補足。
「最近の脳科学が明らかにしてきたのは、どちらかと言えば意識に上るような処理の比重は小さく、意識は後付と言っていいくらい」かもしれないそうで、「盲視のような現象は特殊に見えるけれども、例えばプロ野球選手のように、意識してからでは間に合わない行動は結構あって、そういった行動では”知覚した”という意識は行動に遅れて起きているはずだ」とのこと。そういう話はしばしば聞くけれども、この体を動かしているのは”私”ではないのかもしれない。

さてでは、「意識に意味はない」のだろうか?「結構そういう意見の人も多い」とのこと。もちろん、限定が入って、「行動には意識が必要ない」と言う意味である。意識は、後から環境と自分の行動を解釈し、理由付けを行うのであって、行動そのものには意識は介入していない、とする人たちが結構多いらしい。直感には反するけれども、実験的に「意識を通さない行動」を取り出すことは結構可能で、そこから単純に結論付ければ「意識は行動を統御しない」と言うことになる訳だ。
しかし、氏は「この議論は、意識を介さずに行動できることは証明しているが、全ての行動で意識の介入がないとは言えない」ことを指摘していた。日常感覚からすれば、あくまでも行動は意識的決定に伴うものなので、私にはこちらの方がしっくり来る。
因みにこの議論に出てくる”意識する/している”は「報告可能な内容を持つこと:reportability」だそうだ。

また川人氏の項では触れられなかったが、伊佐氏の研究室では、ATRや東京大学などと共同で、シート型の皮質表面電極(電極自体の開発は東京大学の鈴木氏の研究室だそうだ)の研究も行っているとのこと。これは川人氏の言であるが、やはり皮質表面からの方が、頭蓋や脳脊髄液や皮膚を通すよりもS/N比が100倍くらい良くなるとのこと。 また、電気的変動の部位を推定する精度が上がる、というのも大きな魅力の一つだそうだ。
当然侵襲度も頭皮に貼り付ける電極より遥かに高いので、より慎重さが求められる方法ではある。将来的には、より侵襲度の高い剣山型電極と組み合わせて、ECoGによる脳内電流源推定の精度を高めることを狙っているとのこと。
こういった複数の方法で採取したデータを組み合わせることで、より低侵襲でも、より正確な脳活動の推定を行えるようにすることを目指している。

またここから下は感想など。
予定のプレゼンテーションの後、研究室を見せていただいた。
入口には遺伝子改変動物を扱っているバイオハザードマークが。

お話の中では意識と無意識みたいな非常に高次の脳機能の話が出てきたが、実験室で扱っている対象や手法はかなりバリバリの生物系と言うか神経科学だった。とはいえサルの実験なんかだと、心理学っぽい部分も結構あるが。
そういった研究内容自体の多様性を反映してか、この研究室に来る人の出身分野も様々で、理学系工学系体育系心理学系と色々な方がいるそう。やはり脳の分野は魅力がありますね。
そういえば氏自身は医学出身ですが、現在研究室で医学出身なのは氏だけだそうで、これはこれで珍しい気もする。

サルでは先程もちょっと触れたがATRなんかと協力して、サルの把持運動のモーションキャプチャと、筋電と、より中枢の神経活動を同時に全部とって、デコーディングの研究をしていたり、力覚とかの研究をしていたりするらしい。
こういった実験系は全部コンピュータ制御で、どっかからシステムを買ってくるのではなく、アンプやコンピュータなどの要素を用意して、自分たちでシステムを組んでいるんだそうだ。PCの筐体にIPアドレス書いた紙が貼ってあったのが大変印象的だった。

他にマウスでの研究をしていて、こちらはモロに神経科学。
上丘のスライスを作って、電気生理的な実験や、細胞の解剖学的な形態分類などをしているとのこと。最近では遺伝子工学的な手法が随分進んでおり、抑制性ニューロンだけにGFPを発現させたり、チャンネルロドプシンという藻類が持つ光刺激に反応するチャンネル蛋白を発現させたり出来るとか。
他にも光刺激でグルタミン酸を遊離する、ケージドグルタミン酸(籠入りグルタミン酸とでも訳せましょうか)と言う物質を用いたり、などの工夫によって特定範囲の神経だけを、選択的かつ高速に刺激したり出来るようになってきており、局所的な神経回路網の機能を、局所的にコントロールすることで、よりはっきりと、「その部位」が何をしているのか、を明確に述べられるようになってきている。

前二つの研究室が、と言うよりもそこで伺った内容がソフトウェアよりと言うか、概念的な話が結構多かったのに対して、この研究室は生々しく生物系だったので、大分雰囲気が異なる感じだった。勿論どの方も理論系ではないので、実験・実践はしている。
とは言え究極的なゴールは同じ(人の理解)にしても、入口と切り口が大分違うので、その違い自体が大変興味深い。

東岡崎で名古屋からバスで帰る組(+実家組)と、豊橋から新幹線組に分かれる。
私は新幹線組なので、名鉄で豊橋へ移動。豊橋経由組は東岡崎まで車に乗せて頂きました。ありがとうございます。
しかし小田原経由で帰ろうとしたら小田原に止まる電車が…ああ。これも新横浜行きか…。
結局こだまで各停でございますよ。
名古屋組がそろそろ夜行バスに乗り込もうか、と言う時間帯に家に帰り着く。
帰った後のことは余り覚えていないが、夕食を作ったような気はする。
流石に5時台に家を出るとか無理なので、前日24時20分横浜発の夜行バスで名古屋へ移動。
寝るのは得意(オイ)なので、夜行バスでも結構良く寝る。
ただ、飲み物を買い忘れたため、途中大変のどが渇いてSAで補給。
午前6時台前半に名古屋に着く。寒かったので朝マックした。まんまと策略にはまってるぜ。あの位置(名古屋駅のバスが停まる側入口そば)は戦略的なんだろうなぁ…。他の店が開いている時間ではないので、私以外の降車客も足を向けていたようだ。
余り時間をつぶすアイテムを持っているわけでもなかったので、さっさと電車に乗る。
名鉄で一路犬山を目指す。犬山に来るのは一昨年以来二度目である。
予定よりかなり早く犬山着。以降徒歩で霊長類研究所へ移動。
しかし地図を持っていったら迷うこともなくアッサリ着き、かなり待つことに。猫の親子を見て待つ。炎天下立っていたので午前8時前と言えど結構暑かった。うっかりにも程があることに時計を忘れたので、拳で太陽高度を測りつつ、なんか視界が開けているところから風景を見たりしてた。
ちょっと心配になってきたので通行人(?)に時間を聞く。まだ8:30だった。誤差20分くらいか。もう敷地内に入ってもいいかな、と言う気分になったので門を入り建物に向かって歩いている…と後ろからタクシーが。駐車場で合流。他のメンバーの皆さん、どうもご心配をおかけしたようですみません。
まもなく松沢氏が車で駐車場にやってきた。挨拶をして建物の中へ。

その4-松沢 哲郎氏-

@京大霊長類研究所 2009/09/02

まずはチンパンジーの「勉強部屋」に案内していただいた。
入る時には靴を履き替え、マスクをし、体温を測り、名簿に名前を書いた。人からチンパンジーへの感染を防ぐための措置だ。これは当然チンパンジーのためでもあるけれども、人間のためでもある。

さて勉強部屋に到着し、チンパンジーがやってくるのを待つ。今回会ったのはアイ・アユムの親子である。
因みに、これとほぼ同じ勉強部屋が6箇所程度用意され、それぞれの場所で違った”勉強”を行っている。後で松沢氏が「教師が動かずに生徒が動く学校の授業」みたいな感じだ、と例えていた。なるほど。

先にアイが来た。声の大きさと運動能力の高さに驚く。正直な所、原初的な力に対する恐怖を感じた。あとで伺った松沢氏の説明によれば、あの一連の行動は「挨拶」であるらしい。人間で例えれば、長年会っていなかった人同士の感動の再会、を毎日会ってるのに毎日繰り返すのだそうだ。今思い返せば、彼らの時間に対する感覚(後述)とリンクしている話のようにも聞こえる。

挨拶が済むと、勉強用のブースにアイがやってくる。毛を逆立てているのは、人間で言う鳥肌で、緊張・警戒しているらしい。どうやら我々は不審者だと見なされたようです。暫く観察した後、「害はなさそうだ」と判断したのか、アイは落ち着いた。後で聞いた話だが、1週間に一度くらいは見学者がやってくるそうなので、それなりに慣れてはいるらしい。
その後アユムがやってきて、アイが行ったのと似たような挨拶行動をしていた。実験の様子については、私が言を尽くすよりも、研究所サイト内で紹介されている実験の様子を見て頂く方が、誤解や漏れもなく良いと思う。一つ付け加えるとすれば、ブースを囲っているアクリルがかなり不透明に見えるが、カメラと光の加減であって、実際には肉眼で見るとずっと透明だった。

映像を見ていただければ分かるが、チンパンジーが問題を解く速度は速い速い。「目にも留まらぬ」そのもので、問題を全部認識する暇もないほどである。フラッシュ暗算を出来ない人が(私は出来ません)傍からあれを見ているのに似ている。人間でもチンパンジーでも、単純な記憶能力であれば子供の方が高いが、学習や訓練で習得する記号の判別などでは、チンパンジーでも大人、というか学習の長い個体の方が成績がいいようだ。

勉強の後、アイは爪切りや体重測定などを行っていた。体重計には指示されると自分で乗って大人しくしている。注射も拒まない。当然ながら、こういった行為は両者の間にかなり深い信頼関係が築かれていないと出来ない。信頼関係がなければ、体重測定一つでも、麻酔をかけなくてはいけないが、それにしても近づけないので吹き矢でも使うしかない。素人目にも、信頼関係を築くことは人とチンパンジーの双方にとって良いことに思われた。

簡単な身体測定の後、アイは落花生を一個もらっていた。殻を剥き、驚いたことに唇で薄皮を剥ぎ取って食べていた。後で聞いた所、樹上生活者であるチンパンジーの手はごついので、薄皮を剥くと言った繊細な作業になると、感覚が鋭く器用な唇を上手に使うそうだ。

一通り勉強を見た後、上の階へ移動し、ベランダみたいな所からチンパンジーのタワーを眺める。なんか犬山城の方角に輸送機が旋回していたのが気になって仕方がない。
チンパンジーを飼育する区画は大きく二つに分かれていて、片方がタワーのあるエリアで、もう片方がタワーはないが水が多いエリアのようだった。二つのエリアの間の行き来は自由ではないようだ。これは、一つの群れであっても空間的に広がりを持って暮らすチンパンジーの生態を模したものであるそうだ。一つの群れの中でも、人間のようにしょっちゅう接触があるわけではないらしい。

チンパンジーの食事についても独特で、勿論決まった食事時間はあるのだが、それ以外にも木の葉やイネ科の植物など、区画の中に植えられた植物を食べることも出来るようにしてあるとのこと。チンパンジーは当然人間とは生活の仕方が異なり、朝から昼にかけて活動し、真昼は日差しを避けて昼寝、日が少し陰るとまた活動期に入り、日没前後で寝る、といったスタイルだそうだ。そして活動期の間は結構ずっと食べていて、おおよそ人間の食事時に相当するような時間は一日に6-7回ある。人間の食事サイクルに合わせることはチンパンジーにとって快適とはいえなかろう、と言うことであった。
加えて、氏は自分で能動的に働きかけて採集を行うことも意味があるとも言っていた。
関連しているのでここで述べておくと、実は勉強でもらえる「報酬」は、別にチンパンジーの食べられる量を増やす訳ではないそうだ。
つまり、勉強で頑張ってもその分通常の食事に回る量は減るのである。トータルの量は変化しないのだ。氏の解釈では、チンパンジーはこのことを理解していないのではなく、「分かっていても単に与えられるのではなく自分で努力して手に入れる方を好んでいる」らしい。

なんだか全然本題に入れないのだが、この後も昼食中を含め、色々面白いお話があった。が、それはひとまず飛ばす。

さて本題に入ると、氏が行っているのはチンパンジーと言う種を通して、人間を相対化すること、とまとめられるだろうか。
万物の霊長たる人、ではなく、動物としての人(あえて漢字)、類人猿としての人を知るために、最も近縁の種であるチンパンジーを知る。それも実験室のみではなく、野生生態の研究も行う。そのため氏は年に一度はアフリカでフィールドワークを行っている。そうして人間らしさを、翻ればチンパンジーらしさを研究している、と言うことのようだ。

チンパンジーの”足”は、彼らが樹上生活者であるが故にものを掴む機能がある。他の類人猿もほぼ同様だ。ここから氏は、「人間が手を持ったのではなく寧ろ平坦な地面を歩くための足を持ったのだ」と言う。確かに言われてみれば、人に特異的なのは歩くことであって掴むことではない。

そして更に面白いのは、人の手の器用さ、制御の巧みさは、二足歩行ではなく、人が子育てを共同して行うこと、それが複数の子供を同時に育てることを可能にしたこと、の帰結だと論じるのである。詳細については講演を聞いて欲しい。(場合によっては追記するかも。)

既に上の三項からは大分型が崩れてしまったが、もう一つだけ面白い話を。京大霊長類研では、所長は選挙で選ばれるのだが、その選挙権を持っているのが教授会のメンバーだけではなく、院生学生や一般職員(食堂の人まで!)も、なのだという。しかも三選までと再選の制限まである。びっくりする話である。
「文化が辺境に残る例ですね」とは氏の言であるが、なんとも面白い制度だ。

ほかにもシンボルの話とか体脂肪の話とかチンパンジーの文化の話とか、話題は沢山あるのだが、ちょっと書ききれない。

一つだけ書いておくと、氏が霊長類研究所で研究を始めた頃は、PDP-8なんてものを使っていたらしい!だから機械語で直接プログラミングをして学習のソフトを書いていたそうだ。「チンパンジーの学習はどんどん先に進みますから、次々ソフトが必要で、当時はプログラム書いていた時間の方が長いくらい」だったとか。PDP-8は12bitアーキテクチャだそうで、この中途半端な数字が、メモリや半導体の高さを物語っていて、すごく時代を感じた。

氏の印象は一言で言えば「静かな革命家」とでも言った所だろうか。
穏やかながら、かなり”アツイ”人である。また、昨今の学生にはフィールドワークが出来るような頑丈さがないと嘆いておられた。へなちょこの代表例ですみません。
特に印象に残ったのが、「51勝49敗」という言葉であり、氏のモットーのようであった。何を指して「51勝49敗」かと言えば、野生動物保護と実験・飼育動物福祉の活動についての話である。どちらも容易ならざる問題で、一朝一夕に解決する話ではない。しかし、漸近的にでも改善していくべきだ、という氏の信念には心を打たれるものがあった。
私自身は伊佐氏の所で行われていたような侵襲を伴う実験から得られる知見や、それにまつわる技術的な話を聞いてもワクワクするし、そうやって知識を集めること自体に魅力を感じる人間である。(別に動物実験が好きと言う意味ではない)だが、当然侵襲的、あるいは死を伴う実験が行われていることを研究者としてよく知っていて、しかもそれでもなおこういった行動を起こしている、ということに感じ入ったのであった。

今回の取材は立花ゼミ史上でも最長クラスであり、9時前に集合して18時を過ぎて解散した。流石に皆さん疲労が見え隠れでございますね。名古屋に着いた時点で19時台中盤。
名鉄名古屋改札前で時刻表を西田氏に借りて調べると、今から直帰しても結構遅くなりそうなので、ここで他の面子と分かれました。
お握りと赤福を買い(何故)、新幹線に乗りました。帰宅コースは東岡崎からの帰りとほぼ同じでござる。
今回は本郷なので余裕があります。
定期が切れているので、珍しくJRを利用して移動。
赤門前で待っていると、超久しぶりに高校の同級生と再会。暫く立ち話。
をしている内に遠藤氏登場。ついで立花さんも来たので、そのへんで同級生とは別れる。特に混乱もなく医学部本館に移動。結構セキュリティ厳重ですね…。
アルミ製のイスとテーブルが眩しい休憩コーナーの壁にかけてあるのは円周率ではないか。ざっと200桁ぐらいありましたね。左上の3.14を見つけないとナゾの数列でしかないね。

その5-宮下 保司氏-

@東京大学 2009/09/07
氏の話は、「脳科学とはどんな学問領域で、何が出来て何が出来ないのか」といった話から始まった。
そこから話は視覚の方へ。物理的刺激が、分解され、そこから”情報”が取り出され、”情報”が再構成されて私たちの意識に上る主観が形成されている。さて、この情報を取り出す過程では、脳の様々な部位が、それぞれ部位特異的に決まった種類の作業を行っており、例えば色に関する領域は色の処理だけをしている、と言ったことが分かってきている。
目の前にリンゴがあったとして、その色を処理している領域と形を処理している領域は別で、どこかでその情報をつき合わせて「リンゴ」という認識が生まれているのだ。そして意味あるものとして「それが何か」を知るには、記憶との照合が不可欠だ。リンゴが食べ物だと言うことだって、我々は記憶しているから知っているのだから。

以下、記憶が如何なる内部表現で保持されているか?とか、記憶の照合のメカニズムは?と言った話が続く。この辺は講演本編をご覧いただきたい。

そして話はFOK、Feeling Of Knowingへと向かう。氏の訳では「何か知ってるかんじ」だそうである。人間は、何かを提示された時、それを「知っているか」、「知らないか」、あるいは「覚えているか」、「覚えていないか」を、実際にその内容を思い出せるかどうかと別に認識することが出来る。
この、「知っている」ことを「知っている」といった、自己の認識に関する認識を、メタ認知と呼ぶ。この場合はメタ記憶だ。
動物はこういった認知能力をもっている(ものもいる)が、機械はそうではない。氏の言うように「コンピューターはメモリの中にヒットしなければ、記憶がないと推定するしかない」のだ。この、メタ記憶の能力を科学のフレームの上に載せるにはどうすればいいか?氏の取った方法は、「知っている感じがするかしないか」をFOKとしてその度合いを被験者に提示してもらい、それと相関をもって活動する脳領域を調べる、というものだ。

これまたどんな結果が出たのかは講演をご覧いただくとして、付け加えておくと、FOKに信頼性があるかどうかは、問われた知識に関する選択問題を提示することで、正答率とFOKの間に関連があるかないかを調べれば、確かめることが出来る。
テキトーに答えていたり、こういったFOKのような直感は実際の記憶と無関係なのであれば、正答率とFOKも無関係になるはずである。実際にはそんなことはないそうだ。

とは言え、直感であるので、特殊な直感に反する答えの課題などを用意すれば、FOKと正答率の相関を壊すことも出来るらしい。
なんにせよ、このFOKもまた、人間の「なんだかよく分からない能力」である意識とか直感といった、高次の機能のメカニズムや正体を明らかにするための一つの武器である。やはり人のココロというのは摩訶不思議かつとても魅力的な対象だ。

以下興味深かった話等。
例えばAという記号と全く違うBという記号の二つを結びつける、そういった記憶の素を探るような実験が登場するのだが、この”AとBの関連”をコードしている、つまりこの組を選択的に「記憶」しているニューロンが存在すると言うのだ。私が、「その方式で記憶すると脳細胞の数足りなくなりませんか」と質問した所、「別の状況下では全然別の反応を示したりするから全く問題ない」とのこと。それこそが、超多層、超多重入力されている脳の神経系のなせる技だと言う。コンピュータのメモリのような、厳密な一対一対応性を保持する必要は全くないのだ。
しかしやっぱりある状況下である関係を”表現”しているのはニューロンレベルの極めて局限的な実体らしい。この辺の理解については、脳科学に携わる人の中でも、随分と認識に差があるらしい。実際に、特に侵襲的な実験を直接行っている人や、神経のモデルを作ったりしている理論系の人は、機能の局在っぷりと、状況依存性の両方を認識しているそうなのだが、心理学系の人などとは認識に温度差があるそうだ。

また、「電極刺してニューロンの電気信号が取れたとして、他の部分の機能じゃないと言えますか」という質問には、十年前には答えるのが難しかったけれども、MRIが使えるようになったことで、よりはっきり、強くそういった主張をすることが出来るようになったそうな。
とは言え、十年たって、現在のMRIによる実験手法の限界の見えてきた部分もあるという。
現在MRIの実験では、ある機能に特有な脳活動なのか、と言うことを、その機能を使っていない時のMRIでのデータと「引き算」して残った部分を見る、と言う方法で調べている。
例えば質問に対して声で答える課題にしても、その課題を考える脳活動以外に、発声のための筋肉の制御など、必ずしも直接知りたい脳機能と関連のない能部位が活動する。
そこで問題を考えずに発話しているだけの時の脳活動もMRIでデータを採り、その差分を取ることで問題の領域を明らかにする、となるわけだ。

感想。氏は真面目かつ厳密な人物だった。
私は「おばあちゃん細胞」的な極端な機能局在論は余り好きではないのだが、
今回お話を伺って納得した。確かに機能はニューロンレベルで局在しているようだ。
それを、超多重の入力を持つことで様々な機能を一つの細胞に”重ねて”持たせる、というシステムを、生物は採用しているらしい。氏の話の中にも出てきたのだが、「そのコンテクストの切り替えはどんな時にどんな風に起きるのか?また何がおこすのか?」は、非常に面白いテーマだと思う。私にはどうやって調べるのか見当もつかないが。

またメタ認知の類の話はやっぱり面白い。この記事を書きながら、AIのフレーム問題などにも繋がる話ではないだろうか、などと考えて一人で喜んでいる。しかし考えれば考えるほど、一体どんなメカニズムで記憶そのものではなくその有無を調べるのか、一体全体どうなっているのか不思議でしょうがない。

昼飯食べ損なっていたので他のメンバーと別れ、なぜか立花さんと緑さんと本郷の食堂へ。
数日前から猛烈にラーメンが食べたかったのでラーメンを食う。
帰りは時間があるので千代田線から帰りました。特筆事項はなし。

番外-大阪大学レーザーエネルギー学研究センター-

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この項目は番外なので、全部この色で行きます。
@大阪大学 2009/08/27
ご免なさい…時間が無いので追記します…。

取材記と見せかけて

火曜日, 9 月 1st, 2009

ダウト。見せかけてって自分で最初からバラしてますけど。
-2009/9/2追記-作例のFlashが見られなかったのは、kenbundenをkebundenと間違えていたから+ブログ名指定(Fumiaki_KUBOTA)をしないとアップロードディレクトリにアクセスできないから、でしたorz
objectタグの対応状況も知りたいので、時計が見られなかったとか、時計が動いていないとか気付かれた方は、是非ブラウザなどの環境情報と共にコメント欄に書き込んでください。参考にします。
あ、あとコメントに何箇所かウソ書いてたのに気付いたので直しました。

取材記はこの次に来る予定です。…予定です。
一応、例の記事で宣言したとおり、今まで交互に書くのを何とか維持しているので、折角だから続けよう。
今回はFlashに手を出しました、って話です。タイトルからは欠片も読み取れませんが。
内容と関係ないタイトルをつける癖(?)はどうにかした方がいいと思うよ、自分。
真・タイトルはMTASCで始めるActionScript2.0とでもして置きましょうか。

目次

  1. 言わずと知れたFlash
  2. 微妙にマイナなActionScript
  3. MTASC
  4. 作例
  5. 気付いたこと&参考ページ等

言わずと知れたFlash
えー言わずもがなですが、皆さんAdobe Flash Playerはご存知かと思います。
ご存知、ないのですか?コレですよコレ。
皆さんもゲームとかゲームとかゲームとか、Youtubeとかニコニコ動画とか、時々アップローダとか、お世話になってると思いますが、そんな技術の話です。
ゲームばっかりだな。でもリンクしたサイトはお勧めなので、遊んでみてね(オイ)。
その昔はMacromedia Flash Playerと言いまして、Macromediaという会社が扱っていたのですが、今は昔の話です。
正確にはFlashは動画規格とそれを作るためのソフト、Flash Playerが動画を再生するためのソフト、なんですが、あんまり区別しませんね。

微妙にマイナなActionScript
そのFlashの中で、処理手順なんかを記述するためのスクリプト言語がActionScriptな訳です。
Flashは有名だけれどもActionScriptとなるとグンと知名度が下がりますよね。Google先生に拠れば、Flash->17,200,000件に対してActionScript->1,880,000と検索結果が一桁違いますね。
ベクターデータをアニメーションさせる機能と、それをボタンのように扱って次の処理を行う機能が組み合わさることで、Flashは非常に高い表現力を実現している訳ですねー。
その処理を記述するための言語がActionScriptで、ECMAScriptの拡張なので、JavaScriptの親戚と言って良いでしょう。実際瓜二つです。
とはいえ、大分違う所もあります。当然ながらグラフィック関連とか(JavaScriptの場合は基本的にグラフィカルな機能はありませんので)。
どちらにしろ、このテの言語にあまり馴染みがないので戸惑う所は多々ありますが…。
単純な処理能力は十分すぎるほどあるようです。しばしばASと略されますが、某陸戦用機動兵器とは無関係です。多分。

MTASC
普通、FlashはAdobeのAdobe Flash CS3とかCS4なんてソフトを使って作ります。
とは言えFlashの仕様は公開されているので、そこまでメジャーではないもののFlashを作成するためのツールはAdobe以外からもリリースされています。
Windows限定で良ければParaFla!とかSuzukaが開発者が日本人(つまり主要なドキュメントが日本語!)、完全フリーといった理由で日本では割とメジャーだと思います。
これらはGUIベースの開発環境で、どちらかと言えばAdobe Flashを触ったことがある人が乗り換えるような使い方を意図して開発されていると思われます。
それに対して、CUIのActionScriptコンパイラのMTASC(Motion-Twin ActionScript 2 Compiler)つーものがありまして、私はこちらを使い始めた所です。
なんていうか、やっぱりGUIは使い方を覚えるだけでも一苦労な面があるので、今回は(も?)敢えてCUIでActionScript入門してみました。
因みに、名前の通りMTASCはAS2.0対応ですが3.0対応ではありません。reademeを見ると、MTASCでAS3.0に対応する予定はないが、3.0相当なhaXeという言語を開発中なので、3.0が利用したい人はそちらをどうぞとのこと。
うーんでも折角だからActionScriptをやりたいじゃないですか。更に新しい言語に手を出すのー?みたいな。
haXe自体は謳い文句を聞く限りかなり魅力的なんだけどね…。かなり。
勿論CUI&ActionScript2.0のみの使い方では、限界も多いので、そこは他のソフトと併用することでカバーしましょう。
swf->XML->swfなんてことができる、swfmillとかそんなソフトもあるらしいです。
声を大にして言いたいのは、「Flashと言えどAdobeにお金を払う以外の選択肢もあるのだ!!!!」という事でしょうか。
Adobeに恨みはありませんが、ポイントは”金”です。…ソフトウェアベンダがどうやって開発費を賄うのかとか冷静に考えると怖くなりますが。
MTASCは特にインストールと言った手続きは必要なく、バイナリを解凍してパスを通せばもう使えます。
こういう手間の掛らないソフトってステキ。当然レジストリにも無痕跡(だと思う)。

作例
実際作ってみたよ、ということで、時計です。何の変哲もないアナログクロック。

でもワタクシ、この埋め込みタグのブラウザ互換性って所でまた詰まったり…。ここを参考に(つーかコピペ)いたしました。
ほんとブラウザブラザーズ(血縁ないだろ)には悩まされてばかりです。ふぅ。
欲しい人がいるか分かりませんが、一応ソース掲載。たったの60行余り。
あ、AS2.0はJavaScriptらしくなく(?)、割と型チェックが厳密です。あとvarは常に要ります。

class Clock{
	private var R:Number=80;//Radious-別にprivateにする意味は全くないんですが、気分の問題です。
	private var x_size:Number=240;//書き出し時のサイズ
	private var y_size:Number=160;
	private var dialPlate:MovieClip;
	private var hands:MovieClip;
	private var PI:Number=Math.PI;//単なる別名
	function Clock(){//コンストラクタ。
		var t = this;
		dialPlate=_root.createEmptyMovieClip('dP',100);//文字盤
		hands=_root.createEmptyMovieClip('h',200);//針-実はここで定義する意味はなかった
		dialPlate._x=x_size/2;
		dialPlate._y=y_size/2;
		setDialPlate(dialPlate);
		var intervalID:Number=setInterval(this,'redraw',500);
	}
	public function setDialPlate(mc:MovieClip):Void{//文字盤を作る。
		mc._visible=false;
		var texts:Array=new Array();
		var tf:TextFormat=new TextFormat('_sans',15,0x000000,false,false,false);
		for(var i:Number=1;i<13;i++){
			texts[i]=mc.createTextField(''+i,10+i,0,0,30,30);
			texts[i]._x=R*0.7*Math.sin(i*PI/6)-((i>9)?10:6);
			texts[i]._y=-R*0.7*Math.cos(i*PI/6)-10;
			texts[i].setNewTextFormat(tf);
			texts[i].text=''+i;
		}
		mc.beginFill(0xcc9966,100);//茶色の塗り色
		mc.lineStyle(5,0x333333,100);//灰色の線色
		mc.moveTo(0.9*R*Math.cos(0),0.9*R*Math.sin(0));
		var cos_N:Number=1/Math.cos(PI/8);
		for(var i:Number=0;i<8;i++){//八分割円の描画
			mc.curveTo(0.9*R*Math.cos((2*i+1)*PI/8)*cos_N,0.9*R*Math.sin((2*i+1)*PI/8)*cos_N,0.9*R*Math.cos((i+1)*Math.PI/4),0.9*R*Math.sin((i+1)*Math.PI/4));
		}
		mc.endFill();
		mc._visible=true;
	}
	public function redraw():Void{//実際に針を描画するヤツ。
		if(hands){hands.removeMovieClip()}
		var hands:MovieClip=_root.createEmptyMovieClip('hands',200);
		hands._x=x_size/2;
		hands._y=y_size/2;
		var now:Date=new Date();
		var h:Number=now.getHours();
		var m:Number=now.getMinutes();
		var s:Number=now.getSeconds();
		var theta:Array=new Array();
		h%=12;//12で正規化…というのだろうか
		theta[3]=h+m/60+s/3600;//PI/6-つまり文字の間隔-を単位とする
		theta[4]=m/5+s/300;
		theta[5]=s/5;
		for(var i:Number=3;i<6;i++){
			hands.lineStyle(7-i,0x000000,100);
			hands.moveTo(0,0);
			hands.lineTo(i*R*Math.sin(PI*theta[i]/6)/8,-i*R*Math.cos(PI*theta[i]/6)/8);
		}
	}
	static function main():Void{//エントリポイント。Clockのインスタンスを作るだけ。
		var c=new Clock();
	}
}
色々と実用性皆無な書き方をしていますね。
あんまり褒められたコードじゃありませんな。

気付いたこと&参考サイト
やーこういう短いコードだと、はっきり言って全くオブジェクト指向の意味ありませんね。
私そこまでOOP好きじゃないし。ある程度より複雑だったり大きかったりすれば確かに便利ですけど。
でもそこまで大きなコード滅多に書きませんしね。
今回は参考文献にAdobeのリファレンスは余り使いませんでした。別にAdobeに含みがあるわけではなく、MSDNもそうですがああいうサイト構成はちょっと見難いと思う。
やっぱり最後はコレを見るしかないのではありますが。
そもそもMTASCに出会う切欠になったのは、この記事です。なんか気まぐれで"actionscript コンパイラ"って打ってみたんですよね。
よく考えれば(るまでもなく)、SuzukaやParaFla!はコンパイラではないわけで…。
所詮Webの世界はテキストベースですから、MTASCって名前が分かるか分からないかで手に入る情報が全然違いますね。
MTASCと入力して一番上に出てくるのがこのサイトですね。サンプルも参考になります。
実質一クラスの極めて限られたコードしかコンパイルできませんが、swf server side compilerなんてものも公開されていますので、お試しにはいいかも。
最も、普通はパス通すだけの方が寧ろ簡単だと思いますが。出先からとか職場のPCでパス変えられなくて不便とか、そう言う時にはいいかも。
最初はいつも通りサクラエディタ使ってたんですが、良いキーワードファイルとかを探せなかったので、偶然見つけたひまわりとサクラで有名な、クジラ飛行机さんのas2editを使っています。御免なさいWindows専用です。
結構便利です。でも検索機能は実質機能してないみたい。設定が足りないか?
ASのサンプルスクリプト類は、こんな所とか、こことかを参考にしました。
ここではビルトインクラスのメソッドとプロパティの一覧がありますが、メニューにはないので、前の記事に戻って見て下さいw
ちょっとしたときに便利です。最も、引数とか分からないので、それは別個に確認する必要がありますが。そういう意味でもas2editを入れて、stdフォルダを指定する方が楽ですね。
順番が逆になりましたが、気付いたこととか。
描画用の関数群なんですが、AS2だと二次Bezierとか直線しか描画できないので、正円ですら近似して描かないといけません。
実験した所、6分割だとまだ不自然ですね。8分割だとかなり拡大しても違和感ないです。これもどっかのサイトに書いてありましたが。
直線や曲線、面それ自体をオブジェクトとして扱う機能はAS2にはありません。多分3でもないでしょう。
MovieClipよりも下の階層については、直接触るAPIは用意されていないようです。
拡大縮小してもジャギーが出ませんので、内部的にはベクトルデータが保持されているに違いないのですが、そのレベルには触れません。
識別子が尽きるからでしょうか…。
そのため、一度書いた線を消すには基本的にMovieClipごと削除するしかない、のはちょっと不便。
やはりアニメーションを提示する、といった使い方を想定されたプログラムだということでしょう。
ある程度まとまった単位で描画や変形、修正を行うことまでしか想定していません。
同一MovieClipに描いた図形は、当然同じ深度(Depth.画面垂直方向にレイヤが積み重なるイメージですね)を持つ訳ですが、実際には新しく描画されたものが単純に上書きしていく、という仕様のようです。
おそらく内部的なDepthを持っているのでしょう。また線を増やすと明確に動作が重くなりますので、生成された線一本一本についてデータが保持されているみたい。
ビットマップへの変換などは基本的に行っていない様子。Flash8以降だとそういう機能(BitMap処理)もあるようですが。
ああ、時が足りぬ…。
残念ながら出かける時間が迫っております。これにて一旦お別れでござるー。

取材日記0:出発前

水曜日, 8 月 26th, 2009

今朝午前4時前に目が覚めた。激痛で。
午前0時ごろから、ソファで仮眠していたのだが、足が攣って目が覚めた。
目覚め方としてはかなり質の低い部類に入るだろう。因みに左脚。よく攣る。ミネラル不足って事はないと思うのだが…。
以下、私の思考をなるべく正確に記述しようと思う。

あ、いてー。 攣った。足攣った。 伸ばす伸ばす。 あー伸ばし過ぎて逆に悪化したー。 取り敢えず横向きじゃ辛いから座らないと。(注:ソファに寝そべってます) でも足から手が離せないからどうやって座る? 強引に回転!!(なんかいろいろやって右足で着地) ふはー。
痛みと戦いながら約5分待機…。

まぁなんだ、出かける日の朝の目覚めとしては悪い部類ではないだろう。
寝過ごすよりよっぽどマシ。(よくやる)
さぁ取材に出撃だ!

全くの余談であるが、「初日から書くネタに困らないな」と思ったことを付記しておく。
いざ取材が始まれば書きたいことだらけになるのは目に見えているのだが、
敢えて言おう、出だしは順調だ。

セミ

金曜日, 7 月 10th, 2009

セミコンダクタ、ではなく。
なぜゼミナールはゼミと略すのにセミナーはセミと略さないのかという素朴な疑問、でもなく。
駒場でが鳴いていた。
え?なに?夏?聞いてないよ!
つまりセミコンダクタとはセミのコンダクタ、即ちハーメルンの笛吹きならぬ、セミの鳴き声でセミを呼び集める謎の人物なんですね!良く分かりました!

大分錯乱しているようです。
…お前はもう、聞いている。

ぐれっぷ

木曜日, 7 月 9th, 2009

今回は私が普段使っているユーティリティの紹介です。コーディングネタか微妙な所だ。
言わずもがなですが、全てフリーソフトです。
多少の手間をかければフリーソフトで大抵のことが出来る、いい世の中ですねー。

  1. grep
  2. csconv
  3. サクラエディタ
  4. Inkscape

grep grepは便利ですよー。GoogleDesktopより便利です。
GoogleDesktopもインストールしてますけどね。
ただGoogleDesktopが検索対象にしているファイルは、 拡張子がdocやxlsやpdfやtxtと言った、一般的なものに限られています。 中身がプレーンテキストでもphpとかrbとか、とにかく一般的でない拡張子をつけてしまうと、 検索してくれないんですよね。
うーん不便。
なので、私はgrepを使っていますー。
でも何故か、-rオプションが、Macに同梱されているgrepでも、 Winに気付いたら入っていたgrepでも、動作しないんですよねー。
因に-rオプションを付けると、recursiveに、つまり下位にあるディレクトリの中身まで全部検索してくれます。
Winの場合は、Win版grepを落として来てパスの通ったディレクトリに置けば、動きますよ。
-rオプションも正常動作!これでWordPressの様な巨大スクリプト群の動作を追っかける時も怖くないぜ!
実際、複数のケースで謎の動作の原因究明に役に立ちました。
具体的には挙動がわからない関数の関数定義を探すのに使うのがほとんど。
希に変数も探すけど、変数の方が同じ名前のヤツが多い(その為のスコープですもの)ので、
そこまで役には立たないかなー。
is_single()の挙動とかはこれがなければたどり着けませんでしたよ。

CharSetCONVerter
略してcsconvとな。公式はこちら
見ての通り、決して新しいソフトではないんだけど、必要十分な機能が備わっていて、とても使い易い。
Web上のファイルを扱うと、どうしても文字コードには悩まされますねー。
私は使っていませんが、コマンドラインからも使える点もGoodですよね。バッチ処理もバッチリorz

サクラエディタ
フリーのテキストエディタ。中々強力。Winでは結構利用者多いのではないかな?
公式はこちらです。 元々私はHTMLにしろ、何にしろ、プレーンテキストはWindowsのメモ帳(NOTEPAD.EXE)で扱っていたんですが、 流石にShift-JISしか正常に読んでくれないnotepadでは、utf-8やeucで書かれたテキストを読み書きするのは無理があります。
いちいちcsconv通すのも流石に面倒です。
そこで高機能エディタで適当なのを探して、当たったのがサクラエディタ。
ただ、設定を変更した後、タスクトレイから「サクラエディタを完全に終了する」とかそんなコマンドを選ばないと、 iniファイルが上書きされず、結果として設定変更が次回起動時にパアになるのには何度も引っかかっています。
特にbregexp.dllの場所を中々覚えてくれなくて…(お前がちゃんと終了してないだけだわさ)。
ただサクラエディタに搭載されている文字コード変換は、あまりうまく動作しないみたいなので、 文字コード変換はcsconvなり何なり、別のソフトで行うのが無難。
サクラエディタを使う上では、上でも書いたけどbregexp.dllと、それからDiff.exeを用意しないと、威力が下がりますw

Inkscape
フリーのドロー系グラフィックソフト。フリーのくせにかなり強力。公式はこちら。
英語のソフトだけど、日本語化は可能。ただし、2B文字対応が不完全なのか、 テキスト入力は散々な結果になる場合があるので注意を要する。
あと、バージョンが1になっていないだけあって動作が不安定で時々落ちるので、保存はこまめにしましょう。
最近Webに進出して来た、SVGの編集が出来る。確かepsも読めた気が…。
あと個人的に?重宝しているのは、ビットマップトレースの機能。
ラスタ画像を持ち込んで、Inkscapeを通すと、かなり綺麗にベクトル化してくれる。
実は、去年の駒場祭で作った資料の表紙のウィトルウィウス的人体は、この機能を使ってベクトル化したものを、編集している。
はじめから手作業でやることを考えると絶望的な作業でも、この機能を通せば結構出来る!
もちろん癖があるので、思い通りの結果を得るには、事前の下準備が必要だったりするけど。

最近は使っていませんが、MetasequoiaLEとか、Pixiaとかも一時期は結構使ってました。
ただ、3DCGは猛烈に時間がかかるのと、最近画像編集自体をあまりやっていないのと、 Office2001に同梱のMicrosoft PhotoEditorでトリミングとか、最低限の機能は揃っているので、どちらもあまり使ってない。
とゆーか、3DCGならフリーソフトのBlenderでしょ!と思ったけどこちらも放り出してます…。
結局Shadeから3DCGに入ってしまうと、なかなかポリゴンモデラに馴染めないってことですかねー。
でもBlenderはそのうち再挑戦するのだー。だってBullet使えるらしいしー。

多分そのうち他のツールも紹介します。最後に一言付け加えるなら、正規表現による検索と置換ができると作業効率が全然違いますよ皆さんってことですかね。なんだそのオチ?は。

僕本~Amazonアフェリエイト一番乗り~

日曜日, 6 月 21st, 2009

だぞー。

今回紹介するのは、デーヴィッド・マコーレイ作の、『道具と機械の本』。私の人生を間違いなく左右している本だ。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。

私は実は画像に写っている新版よりも、旧版の方が好きなんだけど…。
どちらにしろ、面白い本なのは間違いない。本というよりは絵本かな。
斜面に始まり、ねじ、てこ、滑車、ピストンとクランク、…火の利用…電磁気力、核分裂、核融合まで図で解説が書いてある!!!
小学校3年生か4年生の時に小学校の図書室で見つけて、小学生には重い大型本だったんだけど、正しく貪るように読みましたね。
原点からは大分離れている(これを読む以前からそういうものは好きだった)けど、これほどいい本にめぐり合えなかったら少しは方向がずれてたかな。
勿論子供向けの本、厳密さはそれほどでもないけど、今読んでも十分面白いのは、紹介する道具の選択が冴えているのと、なぜかいつもマンモスが出てくる短い挿話の中で、道具がはたらく時に人間が利用している様々な現象のエッセンスが、直感的に掴めるよう書かれ(描かれ)ているところが素晴らしいんだろう。
小学生でも理解できるレベルで、これほど広範囲を扱い、楽しく、かつかなり正確に書いてある。
著者(本業は建築家)の知識の範囲もさることながら、綿密な下調べをうかがわせる凄い本です。
中々こういった本を日本人は書かないんですよねー。(偏見だ)

新版では、旧版になかった「ディジタルワールド」という章が追加され、若干他の章のページが削られています。
しかしこの新章は、残念ながらコンピュータを理解していない人が読んでも良く分からない。
他の章のレベルが高すぎて、この章はとても残念な感じになっています。
この本を小学校6年生ぐらいに親にせがんで買ってもらったのですが、当時は新版に追加された章のイメージが湧かなかった…。
応用的にどう使われているかはよく分かるのですが、この本の魅力である原理的な部分が良く分かる、って所までは行ってません。
おそらくマコーレイ氏はコンピュータを理解していたのですが、コンピュータの発達に合わせて急遽追加したため、説明の仕方を十分に寝る時間が無かったのではないか、と不遜なことを考えています。
コンピュータの原理を別の本で大体理解した高校一年生くらいになって読み返すと、「あーそういうこと」と頷けるのですが、小学生当時の知識ではちょっと厳しかった…。
コンピュータを理解した本についてはまた別の機会に譲ります。

自転車で

土曜日, 5 月 23rd, 2009

久しぶりに市立図書館に行ってきた。自慢ではないが、いや自慢できないのだが、私は延滞の常習犯である。今回も、5/3に返却せねばならない本を、今日(5/23)まで返却していなかった。つまり、20日ほど延滞していたorz なんだか日記を書くたびにダメ人間っぷりをアピールしているだけのような気がするな。因みに、通常の貸し出し期間は14日つまり二週間である。延滞期間の方が長いとはナニゴトダ。

34日も図書館に行ってなかったのか。道理で最近周囲に本がない訳だ…。一応書いておくと、私はほとんど本を買わない。調達手段は、市立図書館か、隣の市の市立図書館(市同士が提携している)、学校の図書館、あるいは立ち読みである。一時期は、自分に掛かる税金分を取り戻す程度には利用していたのではないだろうか。最近はそれ程でもないが。

なぜと聞かれれば、1.金がない2.場所がない3.買うと読まない、と三拍子揃っているからである。特に3は、手元に半永久的にあると思うと、安心してしまってついつい他の本を先に読んでしまうのである。珍しく買った本の中には、そうやって積ん読の深い森の中に消えていったものも多い。まるで腐海。あるいはタクラマカンか。

さて本日の獲物である。

  1. 『不思議の国の論理学』ルイス・キャロル/柳瀬尚紀編訳-川出文庫(朝日出版からの再版)
  2. 『物理と数学の不思議な関係-遠くて近い二つの「科学」-』マルコム・E・ラインズ/青木薫訳-<数理を愉しむ>シリーズ
  3. 『今はもうない』森博嗣-講談社ノベルズ
  4. 『数奇にして模型』森博嗣-講談社ノベルズ
  5. 『機械仕掛けの神-ヘリコプター全史-』ジェイムズ・R・チャイルズ/伏見威蕃訳-早川書房
  6. 『Webデザイン-プロフェッショナルガイド-』ジェフ・カールソン+トビー・マリーナ+グレン・フリスマン/株式会社バベル訳-IDGコミュニケーションズ
  7. 『ライトノベル作家のつくりかた-実践!ライトノベル創作講座-』浅尾典彦+ライトノベル研究会-青心社

1.は、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の三人居る訳者の一人が書いた本で、GEBを読んだ時から読みたかったのだが、今日見かけたので借りてみた。

2.を借りるのはかれこれ三度目だろうか。知識レベルが上がるにつれて、読み取れる内容が変わっていく本である。要するにレベルたけーよ。

3.と4.は普通の?ミステリです。はい。やっとここまで来たぜ。

5.は前回に引き続き借りている。今年一月に出版された新しい本である。最後の方を読み切っていなかったので借り直した。

6.は見聞伝サイトを扱うにあたり、多少は読んでみようかと軽い気持ちで借りた。JavaScriptの本でも借りようかと思ってその辺の本棚に行ったのだが、残念ながらJavaScript関連の本は見つけられず。過去に見かけたことがあるので、誰か借りているのだろう。

7.はゼミ内で私が参加している企画の予習?である。私自身は基本的に物語の消費者であって、生産者になろうと思ったことはない。というか、ある時自分には世界設定とか、そういうものは書けても、物語(story)に出来ないなぁと気付いたので、それ以降物語を書こうとはしていない。故に、作家が産み出される過程についてほとんど何も知らない。てな訳で、目に付いたこの本を借りてみた。こういう本って、タイトルと中身にギャップがあったりするので、読んでみないと分からないが、どーなんでしょうね。

総括すると乱読ですね私。当たり前か。とはいえ、こうやって読書暦を付けると、乱読でありながらある点の周囲をぐるぐるぐるぐると回っている実体が良く見えるだろう。アトラクタに惹かれる蝶のよーに。実は余り広い範囲をカバーできているわけではないという…。触覚だけは蛾の如く大きく広げて置きたいものです。

あ、読んだら『僕らはこんな本を読んでいる』企画に投稿する予定です。先にブログに書いているのは、要するに木許さんのマネでございます。芸がないな。猿でもできる猿真似講座。

窪田-幅を広くと言っても興味のないものは読めんからなぁ-史朗

遡る

水曜日, 5 月 20th, 2009

私はかなり重度の天の邪鬼である。 とりあえず流れには逆らってみようとする。 反骨とか反体制とか、そんなにはっきりしたものではないし、 もっと言えばそういうモノだけではなくて、 クラスなどの小集団の中の流れにも出来れば逆らってみるタイプである。 …出来ればと言う辺りが小物なのだが。

さて私はプログラミングしていたり、サーバいじったり、 飛翔体が大好きだったりするので、さぞ電子機器に囲まれた生活をしていると思うだろう。 ところがどっこい、私の家には以下のものがないし、それに特に不便を感じていない。

  • 炊飯器
  • 電子レンジ
  • 電気ポット
米は鍋で炊くし、どうしても温め直したいなら蒸すし、湯は薬缶で沸かす。 …環境に悪そうだね。うん。ついでに言えば、私は携帯電話を持っていない。 家の固定電話も緑の公衆電話と同じく、通話機能しかない。 FAXはないし、録音機能もないし、ディスプレイもないから誰からかかって来たかも不明。 子機もない。もう20年位使っている。…流石に黒電話ではないよ? プッシュホンです。

ここまでで分かったことは、この性質は必ずしも私だけではなく、 少なくとも両親からのかなり強い影響を受けているだろうと言うことだ。 それだけではないが。

もう少し詳しく私が嫌いな『流れ』を書くと、 典型的には祭りの神輿を担いでいる時の様な、 トランス状態がキライなのだ、と最近気付いた。 同じ阿呆なら踊らにゃ損損、ではあるかもしれないが、 言わば集団がコヒーレントになる、ああいった空間がどうにも苦手である。 集団の構成員が同じ目標に向かって努力するとか言う状態を越えて、 何か群体の如く、個を剥奪された状態になる(様に見える)のが恐ろしい。

恐らくそれは、私自身が自他共に認める”変人”であることと無関係ではない。 私自身が、多様性が保証される様な環境でないと、排除される側になると言う、 潜在的な恐怖を抱えている気がする。いつもそんなことを考えている訳ではないが、 自分自身が属する集団がそういう状態に移行しそうになると、 同調することで、ではなく、同調を破壊することで、自分の居場所を確保しようとするらしい。

とはいえ、波に乗っている集団が嫌いな訳ではない。 そこで、思考の幅が制限されていくのが嫌いなのである。 波に乗るとむしろ思考の幅が広くなる場合もあるし、 そう言うのは大歓迎である。

立花ゼミで波に乗ると思考の幅が広くなるんだぞ、とゼミを持ち上げて筆を置こう。

窪田-分析癖発動中-史朗

自己紹介について

木曜日, 4 月 30th, 2009
自己紹介については、ココを見てちょんまげ。