Archive for the ‘ボーっと思考中’ Category

カオスラウンジに行ってきた、が。

日曜日, 5 月 23rd, 2010

分らなかった。 分らなかったことが分った…のか?

これだけだとナニガナニヤラなので、少ないが私が見て取ったことを書いて置こう。 何を感じたか、はとても纏めきれないので、知りたければ言葉選びからなんとなく推測して欲しい。 丸投げだな。 ナニガナニヤラがそのまま感じたことか?余り間違っていないだろう。 それでも敢えて一つだけ書くとすれば、そこそこ劇的BeforeAfter

  • Before「カメラを持ってくるべきだった。」
  • After「やっぱり持って来なくて良かったかな。静止画で伝わらない部分が多過ぎる。」
であろうか。蛇足だが要するに「行かないと分りませんね」である。 おやおや。行っても分らないのに行かないと分らないとはこれ如何に。

ま、折角私が行ったその日(※注:私は寝るまで次の日になったとは認めないぞ)に感想なぞ書いているからには、 読んだ人の一人でも訪ってくれれば大変嬉しいのである。 会期最終日でもあるから、さぞ込んでいるだろうけど…。

それは兎も角、私が何を見たか。 先ず最初にカオス*ラウンジと言う単語に触れたのは、Twitter経由だった。5/10だから、二週間ほど前だ。 色々あったり忘れていたりしたため、今日に至るまで結局行かず終いだったのだが、 朝アルバイトに出かける時にふと思い出したので、帰りに寄ってみることにしたのである。 決心したのは会期が終る直前だったのも非常に大きい。 感想を書くと人に言ってしまった手前、行かずに書くのはまずかろう(オイ)。 地図を頭に染み込ませ、バイト明けの新宿をふらふらと出発したのであった。 殆どサイトも読まず、全然予備知識なしで行ったのであった。

渋谷駅で降りて、迷子になる自分を想像して戦々恐々しつつ(私は屋外で基本的に通信手段がないので迷子は結構致命的なのだ)、 びくびくしながらカオスラウンジがあるはずの場所に向かった。 詳しい場所等は百聞は一見に若かず。カオス*ラウンジの公式ページを見て欲しい。 かなり分りにくい場所にあるので途中かなりヒヤヒヤしたが、何とか着。

会場(B1F)に着いて先ず目に付いたのが、予想外の面積だった。 元々そう広くない-25㎡くらいだろうか?-空間にかなりの人とモノが詰め込まれている。 更に会場中央を占領しているジャンクPCの高さ2mを越すタワーから、四方八方の壁に毛糸が渡され、 その糸に様々な紙を千切ったり塗ったり張ったりした合成物が端から端まで垂らしてあり、視界と行動を制限している。 足元にも似たような紙の混合物が散乱していて、少し怖い。 確認しただけで3台-多分もっとあった-のプロジェクタがてんでバラバラな映像を流し続け、 よく分からない音楽や聴いたことある音楽のリミックス-DJ2人がその場で色々やっていたようだ-と思しきものが大音量で流れ続け、 誰が見せる側で誰が見る側なのか判然とせず、 座り込んでPCに向かっている人や、 寝袋の中に入っている人や、 ポップンをハイレベルにプレイし続ける人や、 酒飲んでる人や、 写真撮ってる人や、 ただ呆然と立ちすくんでいる人-私など-や、 踊り狂ってる人や、 同人誌を破って合成物を作ったり自分の体に貼り付けたりしている人や、 もう各人が思い思いの場所で思い思いに行動しており、 情報が飽和している空間だった。 正確にはこれらが全て同時に起きた訳ではないが、だいたいあってる。 正に-原義の意味で-カオスである。 経験を分りやすく圧縮しようとしても圧縮できないと言うことは秩序がないということな訳だ。 つまりこの空間を伝えられなくても私の表現力不足ではな(ry

無理を承知であの空間の雰囲気を伝えようとするなら、こんな感じだろう。 まず、ゲームセンターを想像して欲しい。 薄暗く、様々な音、しかも大音量、に溢れている。 それなりの人口密度で、各人は自分の好きなことをしている。 お互いの交流は距離が近ければあるが、遠くだとあまりはっきりしない。 そんな空間がまずある。 それとは別に、オタク-ギークと言うべきか-の部屋を想像して欲しい。 個人的な空間で、好きなものばかりが並べてある。 本人には分るが余人には分らない基準と法則でものが選ばれ、配置されている。 “非実在青少年”が一杯出てくるような同人誌の割合が高かったりする。 そして欠かせないのがPCとプロジェクタetc. そんなオタクの部屋が複数人で共同利用されている。 面積は個人の部屋よりは大分大きくて、オタクの溜まり場と言うほうが的確か。 利用者各人のテリトリーは余りはっきりしている訳ではなくて、 私室の規模が大きくなって、より混沌を深めた、そんな部屋である。

さて、この二つ-ゲームセンターとオタクの溜まり場-を強引に結合して欲しい。 具体的には、ゲームセンターの真ん中のゲーム機を何台か撤去して、 そこに四角いスペースを間仕切り、その内側をオタクの溜まり場にしてみて欲しい。 出来ただろうか? これがカオス*ラウンジを私の能力でまとめられる限度である。 全然パブリック・スペースらしさがないって所が秩序と言えば秩序なのか?

さて、分らなかったでしょう? もっと分からなくなりたかったら、是非会場に足を運んでみて欲しい。 最後に一つだけ注意事項だが、”非実在青少年”規制大賛成とか言う人は行かない方が良いだろう。 何か義理があるわけではないけれど、珍しい体験をしたのだから、宣伝しても罰は当たるまい。 文章を書いていたら今日が随分遠くに行ってしまったが、 私の思考も遠くに飛んで行きかけているので、そろそろ今日を終らせたい。 皆様良い明日を。

笑止千万

火曜日, 11 月 3rd, 2009

偶には技術とは関係のない、思索的な内容も書いてみようか。と思ったので、書く。 今回のお題は「笑い」である。笑いについての言説は、木許さんの記事で挙がっていた例に限らず、 数多く存在する。笑いというのは、実感として我々「ヒト」を大きく特徴付けているものだし、 人間関係の中で笑いにまつわるエピソードも多い。 どうでもいいが、タイトル「笑止千万」は不可思議な単語である。「笑が止まること甚だしい」と言う字面だが、どう考えても(あざ)笑う時に使うだろコレ。

事の起こりは先学期のゼミにまで(!)遡る。誰か(ごめんなさいどなたか忘れました…。)が、 「下ネタはナゼ可笑しいのか」をいろんな人に聞いて回ってはどうか、という企画を提案した。 この企画自体は特段進むことはなかったのだが、私の中に素朴な「笑?」という疑問符が残った。 特に私が注目したのは、洒落と駄洒落である。 洒落と駄洒落は構造的にまったく同一であっても、面白かったり面白くなかったりする。 その差はどこから来ているのか、があまり自明ではない。 いったい何がそれを決定するのか気になりませんか?皆さん。

そして時々考えること約1月。ふっと思いついたのが5/20前後だったと思う。 んで以下思いついた後、ゼミ長とSkypeしたときのログである。

※この前になんか私が駄洒落を発している [2009/05/23 0:45:50] ゼミ長: ギャグ好きだよね
[2009/05/23 0:46:01] 私: 駄洒落は人類の基本です(嘘
[2009/05/23 0:46:23] 私: まぁマジメな話、最近何故しゃれは面白く、かつ駄洒落はつまらないのかについて考察しているのだ。
[2009/05/23 0:46:28] 私: 面白いモデルが出来つつある。
[2009/05/23 0:46:48] 私: きっとポイントは不安なんだ。
[2009/05/23 0:46:51] ゼミ長: ほう?
[2009/05/23 0:47:44] 私: とっさに理解できない→不安や困惑→理解→不安・困惑の解消→緊張の緩和→群れの仲間への伝達
[2009/05/23 0:47:53] 私: って流れなのかなーと。
[2009/05/23 0:48:08] 私: で、「瞬間的に理解できる」駄洒落は、不安にいたらないので笑いを生まない
[2009/05/23 0:48:25] 私: また、「使い古したギャグ」も先の展開が予想できているので不安にならない
[2009/05/23 0:48:35] ゼミ長: おもしろいじゃない。
[2009/05/23 0:48:47] 私: 笑ってやっぱり本来は群れの仲間への伝達でしょ?
[2009/05/23 0:49:26] ゼミ長: 何年か前の東大ぶんさん後期試験で「何故笑うのか」みたいな問題あったよね
[2009/05/23 0:49:32] 私: へーしらねーや
[2009/05/23 0:50:07] ゼミ長: おれは「不条理」って書いたんだけど
[2009/05/23 0:50:18] 私: 何らかのギャップが存在するのは明らかだよね
[2009/05/23 0:50:24] 私: ズレ
[2009/05/23 0:50:29] ゼミ長: うん。
[2009/05/23 0:50:43] 私: でもそのズレが、一足飛びに笑いにつながるとは思えないんだな
[2009/05/23 0:50:58] 私: あと笑ってなによって話ね
[2009/05/23 0:51:12] ゼミ長: 水木しげるが戦争から帰ったとき
[2009/05/23 0:51:26] ゼミ長: 近所をまわったんだって
[2009/05/23 0:51:30] 私: ふむ
[2009/05/23 0:51:33] ゼミ長: そのとき
[2009/05/23 0:51:48] ゼミ長: 近所の家の息子とかは戦死しているわけで
[2009/05/23 0:51:52] 私: だよなぁ
[2009/05/23 0:52:01] 私: あの人も片腕吹っ飛ばされて帰ってきたわけだし
[2009/05/23 0:52:10] ゼミ長: 「なぜだか知らないがいつも笑ってしまった」って語ってる。
[2009/05/23 0:52:16] 私: なるほど
[2009/05/23 0:52:29] ゼミ長: 冗談も
[2009/05/23 0:52:40] ゼミ長: 戦争での生死の運
[2009/05/23 0:52:41] ゼミ長: も
[2009/05/23 0:52:45] 私: 「箸が転がってもおかしい」ってやつね
[2009/05/23 0:52:58] ゼミ長: うーん?うん
[2009/05/23 0:53:04] 私: うーん?だなw
とまぁこの様に、夜な夜な正しくchatをしたりしなかったりして夜が消えていく日常を送っているのだが、それは兎も角として、私のアイディアはほぼここに収束しているので紹介した。

一応まとめておくと、出発点は以下の二つである。

  1. 笑いにはシグナルとしての性質が強く存在する
  2. 笑いの源泉は「変」言い換えれば「異常」である
詳しく書けば、前者は笑いという感情とその表現についての分析であり、他の感情、例えば怒りや悲しみ、喜びなどと比べて、笑いというものには、それを表現する動作が密接に結びついている、ということである。涙を伴わない悲しみや、発露されない怒りというのは有触れているが、笑いを押し殺した笑いというのは存在自体が難しい。「笑い」という言葉それ自体も、感情と動作が区別されていない。これ以上説明しようとするとドツボにはまりそうなのでこの辺で切り上げる。
後者は笑いを引き起こすものについての考察で、パターンとその逸脱が必要である。パターンという言葉は範囲が広すぎて嫌なのだが、範囲が広すぎて便利だ。変な顔にしても、ピエロにしても、お笑い芸人の動作にしても、ギャグにしても、”お道化る”ことは、一般的なその場に期待あるいは予想されるコンテキストからの逸脱を、意図的に、そして第三者に意図が明確であるように行うことだと言って良かろう。
飛躍するが、一般にコンテキストからの逸脱があった時、対象が期待される振る舞いをしなかったときに、人間に起きる原初的な感情は、「恐怖」ないし「嫌悪」だということに、あまり異論はないと思う。
形式的には、笑いがこみ上げてくる対象と嫌悪や恐怖を掻き立てられる対象に違いはないのではないか?なぜそのとき笑いがこみ上げてくるのか?
笑いが起きる場合と不安が起きる場合で異なるのは、笑いの場合、そのコンテキストからの逸脱は自分にとって脅威ではないことが重要だろう。実際には存在しない脅威に対して、いちいち防御反応の準備をしていては身が保たないからだ。この辺りまでが、後者の説明である。
そしてここから両者を合流させて飛躍していくのでご注意を。形式的な不安要素が実質的な脅威ではないことを判定して、防御反応が単に起きないにとどまらず、笑いという質的に異なる反応が惹起されるのは、もう一歩踏み込んだ何かが必要だろう。ここで、先ほどの「笑いのシグナル性」に再び触れることになる。笑いは、他者への伝達の手段だ。さらに笑いは「脅威の誤認と訂正」から生まれるとすれば、即ち「笑いとは、脅威が存在しないことを仲間に伝達するための手段だ」ということになりはしないか。
この仮定が正しいなら、笑いが伝染することの説明も容易だ。つまり、自分自身が直接に不安を覚えなくても、自身を伝令役にして、群全体に「脅威が実際には存在しない」メッセージを伝えることには意味がある。
またユーモアがしばしば危機に対処するとき重要だとされるのも頷ける。つまり過剰な不安を取り除き、冷静な反応を取り戻すために「笑い」というシグナルが効果的だということだろう。そしてそれは群全体に共有される。
更に続ければ、ブラックユーモアや風刺がしばしば「全く笑えない話」にもかかわらず可笑しいことも、なんとなく説明できそうではある。

この、(笑い)=(脅威不在を伝達するメッセージ)の図式から見ると、駄洒落のつまらなさはどこから来るのだろうか。
もう先ほどのchat logに書いてあることだが、駄洒落があまりに自明な構造を持つために、不安を引き起こすに至らないのではないだろうか。面白い洒落には、理解するまでに「間」が存在することがほとんどだ、ということもこの説を支持する傍証になる。つまり、この間に構造から不安が発生しているのだ、ということだ。

…とかようなことをせっせと考えて早幾月、先月予てから読みたかったV.S.ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』(原題”Phantoms in the Brain”)を読んだら、ほとんど同じことが書いてあった。推論の原点は彼の場合「笑顔は真顔から威嚇の表情へ変化する途中で止まったものだ」というところにあるのだが。
なんにせよ、それほど大それたアイディアではなさそうだ、というのは嬉しいと共に寂しいものである。以上、笑いの起源と言うアプローチから、笑を分析してみたのだが、皆さんはどんなアイディアをお持ちですか?

木曜日, 8 月 13th, 2009

暫く前から見聞伝本家はAtahualpa342で動いている。のだが…。
Atahualpa342導入時、私は大いに期待していた。
特に「CSSとJavaScriptの外部化」にはちょー心躍ったのだ。
CSSを外部化するコードをatahualpaのheader.phpに書き込む、なんて邪道は要らなくなるぜ!
と無邪気に喜んだのだが…。
糠喜びでしたorz

まぁ導入する時にちゃんと調べて置けよ、って話ですけどねー。
とりあえず動作確認しただけで安心しちゃったんですよ。
気付いたのは、8/6に朝倉氏の指摘があってでした。
「何かAtahualpa新しくなってから動作遅くね?」@駒場図書館
うーんマジで?それは困るな…。と思いつつとりあえずSafariのWebInspectorを起動。
確かにどう考えても遅くなっている。しかもリロードしても殆ど速度が上がらない。
その上遅いのは件のCSSとJSっぽい。ナゼ?
というかリロードして速くならないのだから一々生成しているとしか思えないが…。
先ずはここから、とページソースを見てみれば外部CSSの記述には?bfa_ata_file=cssの文字が。
モロまんまクエリじゃねーか!
これでアクセスの度生成している疑いは濃厚を超えて限りなく黒に近いグレーに。
しかし未だ逮捕状は降りない。物証主義だから。
wpmu/?bfa_ata_file=cssにもアクセスしてみるが、圧縮(空白文字を除去)されたCSSが表示される。
アクセスにかかるラグからするとやはり生成が行われている気配が濃厚だが、詳しく調べる時間が無かった。
続きは家に帰ってから、という事でバイトに出撃する。

さて帰宅して第二ラウンド。手始めにatahualpa342の配下でbfa_ata_fileを含むファイルを洗う。
functions.phpが何かやっているので見てみる。
思えばここで道を踏み外した…。
190行目付近の記述に引っかかり、add_filter()の動作を追うべくWPMU本体のソースコードの山へ…。
この期に及んでもfilter_hookとaction_hookの辺りが良く分かってないんです。
やっぱ使ってないからかなぁ…。
なんて愚痴?はともかく、ソースを掻き分け、query_varsにbfa_ata_fileを登録しているらしい、ということは分かった。
しかしその登録されたクエリがどうやって解釈されるのかが良く分からない…。
そういうコードはどこから見つければいいんだ???などとよく分からない悩み。
この辺で8/8位ですね。この後煮詰まり感からしばし中断。

第三し…おっとっと。こんな所でゼミ長を喜ばせている場合ではないのだ(そこ?
第三ラウンドはなんと今朝から始まった。アレだけ煮詰まってたのに…。
解決する時は案外あっさり解決するものである。
今日はなんだか朝っぱらからこの間近所の図書館で借りたJavaScriptの参考書を眺めていたのだが、そしたらなんだか当たり前のことに気付いたのだ。
余談だが、私がこの手の参考書を読むのは珍しい。
大変いい世の中になったもので、大抵の言語(※もちろんコンピュータ言語デスヨ)のリファレンスやサンプルは、Webだけで手に入ってしまう。
話を戻すと、気付いたのは「結局CSSを出力する部分はAtahualpaと同じタイミングでインストールされたはずである」、つまりatahualpa342の配下に最終的に出力するためのコードが含まれているはず。
当たり前の話なんですがねぇ…。ここのところゲームとかゲームとかゲームとかに現を抜かしていたせいか、頭があんまり動いていなかったらしい。
でatahualpa342でgrepしたら「CSS」という語を含んだファイルが見つかる見つかる。
やっぱり怪しいのでfunctions.phpをあけようとフォルダを開くと…。
css.phpってファイルがあるじゃーありませんか。どう見てもこいつだろw
ナゼ最初に気付かない自分。
開けて見るとやっぱりコイツデスヨ。セットでjs.phpってヤツも居るしね…。
さてどこからこれが呼び出されているのかなーとgrepすると、functionsの私が捕まってた行から30行も下じゃない所にあったし。
細かい経緯は不明だけどbfa_css_js_redirect()って関数がtemplate_redirectってアクションにフックされているので、こいつのせいだろ。
さて結局の所、atahualpa342はCSS/JSの外部化はするが外部ファイル化はしないということが判明したわけです。
なんというか中途半端な機能だな…。これじゃーヘッダを見栄えよくする以上の意味は無いではないか。

つまるところ、旧Atahualpaとほぼ同等の手続きをとってCSSをファイルとして保存せにゃなるまい、というのが結論。
CSS関連だけ一ファイルにまとまっているのは改造しやすいけど…。Atahualpaが更新されるたびにこれをやるのかと思うとちょっと気が重いぜorz
さて改造しますか…。ついでにzip圧縮も試してみようかな…。でも圧縮ファイルが受け取れるブラウザかどうかってどうやって判別するんでしょうか?
投げっ放しでとりあえず完。

CW and CCW

土曜日, 7 月 18th, 2009

ClockWise&CounterClockWiseでゴザイマス。
さてさて、またも日記を書こうとしていたら日付が変わってしまいましたが、今回は今日の昼間にボーっとしていたら思いついたこと。
当初はLong and Winding Roadって題名で過去を振り返ろうという予定だったんですが、流れました。楽な方に。
んで図形科学2の課題でジェネバ歯車作ってるんですが、それだけだとオモシロミが無いので、折角だから適当な歯車と針を加えて時計モドキでもつくろーか、とえっちらおっちらやってます。
意外に歯車を作るというのが大変でして、針は一本になりました。
しかも減速比を間違えていて、歯車から作り直さなくてはいけないことに今日作業を終えて気付いたorz
愚痴はともかく、作業をすべく学校へ移動する前に家でボーっとしていたら、ふと、「時計回りって新しい言葉だよなぁ」と思ったんですよ。

ガリレオっていつの人でしたっけ?まぁいいや。とにかく、針が回る機械式の時計が登場するのは、大雑把に言えば16世紀以降ですよね。多分。
たしか振り子時計の発明者はガリレオの弟子のホイヘンスでしょー?
まぁ彼の発明した振り子時計に今のような針と文字盤があったかは知りませんが。
それから、ヴェルサイユ宮殿なんかに部屋ごとにやたら華美な時計が置いてあるのは、あの時代(17世紀)にもまだ機械式の時計は決して一般的とは言えないものだった、逆に言えば富と権力の象徴足りえた、ということでしょう。
じゃあ時計回りっていつから時計回りになったんだろーか。そして時計回りはどうやってde facto standardが決まったのだろうか。
論理的には、どっち回りでも同一の機能のものが作れますよね?
少なくともメカニカルにはどちらでも良い筈でしょう。

ぼーっと思考は飛躍します。
機械式の時計が登場する以前の時計といえば…蝋燭や線香を使った火時計とか水が落ちる速度を使った水時計ですか。
んーでも回転あー日時計を忘れていたw
おお。そうか北半球では日時計の針(影)は時計回りだなぁー。
と言う事は、初期の機械時計の製作者達は、較正を日時計を使ってやっていて、だからきっと機械時計の針の回転も「日時計周り」が「時計回り」になったのに違いない。
そうするとClockWiseに相当する言葉は古代ギリシャローマぐらいからあっても不思議ではないなぁ。

となんか一人で納得したのでした。
南半球では日時計の回転が逆になるってのをきちんと意識したのは初めてで、何か新鮮。
まぁ、普段からこんなカンジで私はボーっと思考しているのか、していないのか。
貴方の清き一票が私の思考を動かすとか動かさないとか。