NINS取材旅行記0826 川人光男先生@ATR
8月26日
今日は自然科学研究機構の取材で京都へ行く。少しだけ早起きして、吉祥寺駅へ向かう。午前8時20分。早起きといっても、授業期間なら駒場へ向かう時間だ。中央線は平日の割りにすいている気がする。夏休みだからかな。30分後には東京駅。ゼミ長と西田くん、そしてN700系のぞみ15号が待っている。ここから京都駅までは3時間とかからない。すごい。
新幹線の中では無線LANが使える。これまたすごい。ちょっと予習をしておこう。今日の取材先はATR研究所の川人光男先生。テーマはBrain Machine Interface。脳みそが体の司令塔だと言うなら、その司令塔が何をしろと言っているのかを聞けば体がどう動くか分かるはずだ。いや、その情報でロボットを動かしてみてはどうだろう。本当に脳が身体に信号を出しているならロボットがちゃんと動く仕組みを作れるはずだ。いやいや、むしろその仕組みが分かれば脳が何やってるのか分かるんじゃないか。簡単に言えばこんな研究をしている人だろうか。英語の紹介ページを読んで、英語読むの遅くなったなぁと思いながらも、名古屋に着く前には読み終えた。
西田とゼミ長が寝ているのを横目に、暇つぶしに読書を始めた。おととい駒場図書館で見つけた本だ。東大の大学院でやった社会人講座を書籍化したものらしい。大学の講義で書籍化されているものは大体おもしろい。これもハズレではなかった。ふむふむ。っと読み始めた途端に京都についてしまう。しまい忘れたノートPCを片付けながら、降り遅れないように焦りながら、京都の地に降り立った。去年の京大取材以来かな。その前は・・・小6の修学旅行か?そして確実に修学旅行以来の近鉄電車にのって新祝園(ほおぞの)に向かう。
東京みたいな気持ち悪い住宅街の無秩序な拡大が終わったところで一気に視界が開ける。といっても盆地だから山は見えるんだけど。一面の水田の中を線路が延びている。踏み切り音のドップラー効果を聞いて千と千尋の神隠しを思い出す。カオナシと電車にのる場面。
祝園は田舎とも都会とも形容しがたい場所に見えた。駅前に大きく綺麗な商業施設があるし。でも、たぶん田舎。バスに乗ってわかった。京阪奈学研都市というのはまだ新しいのだろう。きれいで、大きくて、人気が無い建物が並んでいた。赤字で有名な「私の仕事館」もあった。WEBコンテンツは充実してるのにね。その向こうには国立国会図書館。目的地ATR研究所があった。
まずは会議室のようなところで川人先生のプレゼンを聴く。まずは今度のNINSシンポジウムで講演する内容とその背景知識が伝えられる。
脳の仕組みを考えるというときに、一つの大きな流れはその構成部品について詳しく調べる方法である。例えば、脳の部品として前頭野や脳幹、海馬などの言葉を聞いたことがあるかもしれない。では、それらの中身はどうなっているのだろう?より細部に着目すれば、ニューロン、グリア細胞など、また新しく名前が付けられたものたちが現れる。ではもっと細かく見てみると、といって結局分子一つ一つの挙動まで見えてくる。テクノロジーとサイエンスの時代である20世紀が人類に与えた巨大な知の勝利だ。しかし、それでもまだ知が足りないのだろうか、脳の仕組みはよくわかっていない。心理学の様に、こころという脳の機能に着目している学問もあるが、そこからもまだ時間がかかりそうだ。
さて、それでは人はいつ脳の仕組みをわかったと言えるのだろう。ここで少し考えてみよう。粘土で人形をつくることを見てみる。袋から出したばかりの粘土はただの長方形の物体だ。それを人はこねくり回してだんだんと人型にしていく。胴体と四肢、そして頭。人の外見はある程度決まっている。顔の表情や腕の先に付いているはずの五本の指がなくとも人形には見えるかもしれない。しかし、よりリアルな人形をつくるなら、顔の上には目鼻口があるだろうし、腕の先には(何か事情がない限り)5本の指がついているだろう。私たちは人形に人の形、つまりは人間の外見という機能を再現したのだ。
人間の脳という機能、思考や感情と行ったものだけでなく呼吸や体温まで管理している脳の機能を再現できた時、人は脳を理解したと言えるのではないか。
中世から近代にかけて、人形に「命のもと」を埋め込むことで人造人間ができると考える錬金術師がいた。彼らは命のもととして様々なものを考えた訳だが、それらは現代から見ればばかばかしくも見えるのだが、人造人間をつくる試みは完全に失敗に終わる。当然だ。ただ、人造人間と聞くと現代人でも人の形と人の心を兼ね備えたものを想起するだろう。人の要素として、心と体は不可分なのではないか。
21世紀、現代の科学者は暇な大学生の即席おとぎ話とは全く別次元のロジカルな思考によって、脳を真似して脳を理解しようとしている。科学者は脳波やfMRI、脳磁計などの先端観測装置を操り脳の内部でどんな物理化学現象が起きているのかを調べることができる。そのとき、観測器を着けられた被験者は生きていて何かしらの動作をしたり、想像をしたりしている。分子が舞い、血流が踊る物理化学の舞台としての脳の姿と、心や精神と呼ばれる脳の高次活動が、現代科学技術の結晶と大科学者のロジックを通して結びつけられるのだ。さあ、サイエンスは脳を理解した!とは言えないことは少し前に書いた通り。
Aというイメージをしているときには脳のXというところが活発に活動している。逆もまた然り。これだけわかっても「脳をわかった」と言えないのはなぜか。それは相関関係を示しているだけだからだ。例えば、飲食店の数と銀行の数は正の相関関係(小学校で勉強する比例みたいなもの)がある。では銀行のまわりに飲食店ができる!といえるだろうか。ちょっと待て、他の要因はないか。ああ、なんだ昼間の人口が多い所に銀行も飲食店も立地しているんだ。納得。データをグラフに描いて、比例関係が見え見えだったとしても、すぐに結論を下さない慎重さ。これがサイエンスがサイエンスたりえる所以だ。普通は対照実験といって、要素を一つだけ変えてあとはできる限り同じ条件で行う結果を見て初めてすこし安心できる。
脳科学でも対照実験を行えばいい。だがそれは難しい。「前回の実験と完全に同じやり方でぼーっとしてください」なんて指示が可能だろうか。あるいは「この前より15%弱い眠気に襲われてください」。脳の機能はあまりにも複雑で、科学的に扱うには方法をうまく考えなければならないのだ。
ここでようやく出てくるのが、コンピュータで脳機能を再現する仕組みを作り、その仕組み(コンピュータだからいくらでもいじれる)を動かしながら、人と同じ様に動くかを調べるという方法だ。こう書くと人型ロボット変わりのない様に見えるが、「仕組み」が「人と同じ様に」動くことが重要だ。歩くだけならHONDAのASIMOにでもやらせておけばいい。ASIMOはコンピュータが姿勢を制御して歩行の様に前進することはできるが、その歩き方は人間のものではない。また、再現するのも動作ばかりではない。紹介された研究例では脳の観測から目が何を見ているのか再現することに成功している。いまあなたの目に映っているディスプレイ上の一文字が、脳の様子を見るだけで読み取れてしまうのだ。まるでテレパシーのように。
さて、ここで脳機能を再現するという川人先生の研究ではロボットを使っているということを書いておこう。私たちの体は脳から指令を出して手足を動かしもするが、ものの触感や温度などの情報を絶えず受け取っている。そうであるなら、脳の機能をコンピュータで再現するには人に近いセンサー群と人体のように動く身体が必要である。人体と脳という分けられるようで、その機能を果たすには不可分のものたちを根こそぎ再現しなければならないのだ。といってできたロボットがCB-i。ちゃんと関節が人間と同じ様にあり、センサーも付いている。駆動装置も人のしなる肉体を模倣するために電気モーターだけでなく油圧で筋肉の代わりをさせている。
ちなみにこの油圧駆動、応用面でも意味がある。例えば、この研究が進んで考えただけで機械が動かせる様になったとする。その装置(BMIという)を寝たきりの人に着けて、下半身をサポートするロボットスーツを着てもらえば、体は言うことを聞かずとも、脳の活動を読み取ってロボットスーツの力で起き上がることができるのだ。さらに興味深いことに、神経のせいで片腕が動かなくなった人に同じような機械を着けてイメージするだけで指が動く様にしたところ、頭で動かすように考えて、それでも手は動かないのだけど、それもBMIで読み取って機械を使って指を実際に動かすようなことをしたところ、だんだんと機械なしでも指が動かせる兆候が出てきたという。つまり、肉体が残っていればこの新しいリハビリ方法で再び動かせるようにできる可能性が出てきたのだ。さらに、肉体の一部が失われてしまった人も、考えるだけで本物の手足の様に動かせる義手義足が開発できる可能性も現実味を帯びてくる。これから世界最高の高齢者社会の道を突き進む日本にとって、かなり重要な意味をもつテクノロジーを生み出すことになると考えられる。
夢の技術。言葉にすれば簡単だが、それを実現する裏には科学者たちの莫大な努力があることを現在進行形で見ているわけだ。秋分の日、シンポジウム本番では会場を訪れて本物の科学者から本物の話を聴いてほしい。川人先生かっこいいっす。

東京大学理科一類2年 立花隆ゼミナール ひらゼミ生?(笑) 朝倉 彰洋 愛知県立時習館高等学校卒業 河合塾豊橋校にて一年間浪人。 –アルバイト 東海地方の大手予備校で塾講師的ななにかをしています。 あとは、東京大学Educational Campuswide Computing System相談員です。 コンピュータの扱いに困ったら、気軽に声をかけてください。 渋谷の人ごみの中でも目印になるかもしれない朝倉です。 がんばって東大に入ったはいいけど、東大生も普通の大学生だった。 1年前、ちょっと期待はずれだったかな(期待し過ぎ!)と落胆するころに、立花ゼミと出会いました。 ゼミとサークル*2とでcampus lifeをenjoy!とかやってたら、試験の成績が残念なことになりました(笑) 今学期は自制しつつも限りあるチャンスを生かしていきたいと考えております。 なんてったって、サークルやめちゃいましたから。 めっちゃがんばったんですけどね。おかげで「貧困と東大」の企画が生まれました。 駒場に居ると忘れてしまいそうになりますが、社会ってやつはどうしようもなくドロドロしてますよね。 そのあたりを忘れないために、その中の人が忘れ去られないために、なにかしらやってみます。 そういえば、遠藤くんに「今学期になって饒舌になったね」と言われました。 たぶん何かが吹っ切れたんでしょう。 いまやれることをやらずに何をする。自分が存在した軌跡を世界に刻み付けてやる。 そんな風に考えているのかもしれません。