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Archive for the ‘NINSシンポジウム事前取材’ Category

NINS取材旅行記0907 宮下保司先生@東大本郷キャンパス

9 月 19th, 2009
This entry is part 3 of 3 in the series NINS08

9月7日

事前取材もこれで最後。といっても全部で3回しか行けなかったが。今日は見慣れた本郷キャンパスで、東大医学系研究科の宮下先生のお話。

安田講堂のように時代を感じさせる建物がたくさんある本郷キャンパス。最近は土地利用の効率化のために高層建築物も増えてきた。赤門入って右手のビルは経済学部だし、その向こうにある白い巨塔は医学部の建物だ。宮下先生とはここでお会いした。

心や感覚、記憶といった単語から、私たちはその意味とどんな感じのものかがわかると思う。これらの言葉に私たちはとてもあたり前の様に接している。しかし、科学的にはよくわかっていないので・・・というのは今回のシンポジウムはどこも同じ話。

では、「心」だとか「感覚」だとかいったものを科学的に扱うにはどうしたらいいのだろうか。科学的に扱う、科学的手法で調べるということは、実験で検証可能なモデル(仮説)を考えてやって、それをテストするという手順になる。つまり、何か知りたいことがあれば、実験で取り扱う方法を考えてやれば、「脳科学(笑)」と言われずにサイエンスとしての脳の研究ができるのだ。

例えば、東京タワーや国会議事堂を思い浮かべることはできると思う。それもかなり鮮明に。では、東京タワーの鉄骨一本一本まで再現できるだろうか?もっと簡単に、展望台の位置を正確に言えるだろうか?国会議事堂の入り口には柱が何本あるだろうか?テレビや新聞でおなじみのイメージ。かなり鮮明に思い出せるはずなのに、細部を尋ねられた途端にイメージは霞の中へ消えていく。実際に目で見ていることと、見た像をイメージすることは「見ていない」こと以上にどこかしら違うのだ。

また逆に、何かを見る。例えば国会議事堂を見たときに、鳩山首相の顔がパッとイメージに浮かぶかもしれない。ほうれん草のおひたしを見ると母の顔を思い出すかもしれない。記憶の中のイメージが、視覚によって勝手に読み出されることもあるのだ。

それらのイメージがどのように生まれるのか?ヒト以外の動物ではどうか?そのとき神経細胞はどう活動しているのか?

これらの問いに、科学的に扱える適当なモデルを作って検証することで、「見る」ということ、「イメージする」ということを探っていくのだ。

 

今回の取材を通して強く感じたのが、脳科学者は科学的に真摯であろうとする努力を、一般の人々に向けて話すときは入念に行っているということだった。世の中に科学を絶対視(曲解妄信)する風潮があるが、脳科学は間違った(意図的に間違えた)引用をされやすい。遺伝子によって機能が決まると言うことも、このフレーズだけを抜き取ればくだらない優生学をサポートすることもできる。そしてどのような悲劇が起きたことか。ドイツでは戦後しばらくは人類学ができない雰囲気だったという。

脳科学は人類に自分たち自身を理解する手がかりを与えてくれるだろう。自分たちのことだ、とても興味深い発見もこれからあるだろう。

ただ、そのとき私たちは冷静に情報を受け止めなければならない。これは科学全体にいえることだし、また科学以外にもいえることだ。話はちゃんと最後まで聞いて、自分の頭で考えなければならない。新聞の見出しを読むだけではなく、記事の中身も読むように。さもなければ、自らを滅ぼしかねない。

脳科学を通して、ヒトを科学するおもしろさと怖さを知ることができた。

朝倉 彰洋 NINSシンポジウム事前取材

NINS取材旅行記0902 松沢哲郎先生@京大霊長類研究所

9 月 16th, 2009
This entry is part 2 of 3 in the series NINS08

9月2日

 

「天才チンパンジー、アイちゃん」20年も生きていれば一度は耳にしたことがある名前だろう。今日はそのアイちゃんの研究をしている松沢哲郎先生の取材だ。

京都大学霊長類研究所は愛知県犬山市にある。犬山は岐阜県との境界だ。犬山城の現存天守や明治村、リトルワールド、日本モンキーパークなど、愛知県民なら誰でも知っているような場所ではあるが、全国的には知られていないと思う。NINSには関係ないけれども、明治村は一見の価値ありですよ。

愛知県の東の方にある実家を出たのが午前6時30分。JR東海道線、名鉄犬山線を経由して、8時30分には霊長類研究所に到着した。研究所の前で「どうして集合時刻がこんなに早いのだろう」なんて思っていたら、松沢先生がさわやかに現れた。

“天才”チンパンジーアイちゃんとその息子アユムは毎日午前9時に勉強部屋と呼ばれる実験室にやってくる。彼らの勉強風景—実験の様子—を見せてくださるという計らいから、集合時刻が早かったわけだ。

チンパンジーの居住エリアに入るには、体温チェックと消毒、マスクの着用が求められる。いま流行の新型インフルエンザがチンパンジー達に広がらない様にするためだ。履物を換え、勉強部屋に向かう。

勉強部屋で待っていると、まずはアイが入ってきた。興奮しているようで、体毛が逆立っている。鳥肌みたいだ。そこに松沢先生が近寄ってあいさつをすると、アイの鳥肌はおさまり静かになった。

いま「鳥肌みたいだ」と書いたが、アイを初めて生で見て思ったのは「人間みたいだ」ということだ。体毛と色、顔つきが若干異なるが、一見すればヒトとかなり外見的にも似通っている。直立二足歩行だし。いきなり「大きなサル」から「人ならざるヒト」へと私の中のチンパンジー像が変わってしまった。

次にアユムが入ってきて、勉強がスタートする。NHKスペシャルで見た一瞬だけ表示される数字を記憶して、小さい順でタッチパネルを押していくという課題だった。数字が表示されるのはほんの一瞬で、私にはできるかどうか自信がない。実は、すでにこの能力ではヒトよりチンパンジーの方が優れていることが研究で示されている。

人間こそが地球上全ての生物の中で最も高等である。このような考え方がいわゆる文明的な社会では一般的ではないだろうか。他の動物は言葉がしゃべれない、道具を使えない、社会や文化を持たない。実際のところを調べた訳でもないが、自分の知っている光景から都合のいいような言説を生み出し、妄信することで定着してしまったのが、前述の人間中心的自然観だろう。この自己中心的な考え方は、注意深く他者を見つめる科学者たちの突きつける事実の前に崩れ落ちる。

例えば道具の使用。ヒト以外の動物が道具を使うことは小学校の国語の教科書にも載るくらい知られた(そして人々の思い込みに反した)ことである。チンパンジーともなれば、道具を作製して使用することもできる。大き目の石をもうひとつの石を使って叩き割って、手ごろなサイズに直したあとでハンマーとして用いるということもできる。これは打製石器といえるだろう。道具を作れるのはホモ・サピエンスだけではないのだ。また、チンパンジーが棒を使って巣穴の中のアリを釣って食べることが知られているが、違う地域のチンパンジーはアリを捕まえるのに道具を用いなかったりする。また、チンパンジーは音声言語(人間の言語ほど自由度はない)も使っている。取材の最中に松沢先生が遠くの仲間を呼ぶチンパンジー語(?)で叫ぶと、遠くのチンパンジーたちが返答をしていた。アフリカの野生チンパンジーの集団では、その叫び声も集団によって異なるという話だ。遺伝子に規定されていない何かがチンパンジー集団の中で継承されているのではなかろうか。我々は人間の持つそのようなものを文化と呼んでいる。

人間は音声言語を高度に発達させてきた。これを以って高等な動物は音声言語を操れて然るべき、という考え方も前述のジコチュー思考の一部である。チンパンジーに人間の言語を習得させようという試みは多くなされていて、特に手話などの視覚的言語をよく操れることがわかっているそうだ。チンパンジーの視覚処理は、最初に書いた勉強風景でも現れているように、人間とは異なっていて、そのため人間より優れた結果を出すタスクも存在する。

一瞬で目の前に現れたものを認識・記憶して対応するというのが私たちが見たタスクだったが、他人の顔を認識する時間を調べた研究もおもしろい結果が出ている。回転させた顔写真を提示して、その認識にかかる時間を調べるという実験だ。人間にこのタスクをやらせると、回転の角度が増すにつれて認識にかかる時間が増えていき、180度回転、つまり倒立の画像を見たときにもっとも時間がかかることがわかった。一方で、チンパンジーも画像の回転角度が増えるにつれて認識にかかる時間は増大するのだが、一番時間がかかるのは90度回転のときで、そこから認識にかかる時間は減少し、倒立、180度回転では回転していない正立の画像と同じ時間しかかからなかった。つまり、チンパンジーは上下の視覚的認識が人間とまったく異なるのだ!

森の中で樹上から地面まで3次元的に動き回るチンパンジーに対して、森から出て草原で暮らし始めた人間。進化の過程が見えてくるような結果である。

進化の産物としてヒトを見つめようとすれば、どうしても同じ先祖を持つ近縁の種との比較が必要になる。こういう能力はいつ生まれたのか、こういう構造はいつ生まれたのか、ということを探っていけば、ヒトの進化の歴史を見ることができる。数万年前だったらネアンデルタール人がまだいただろうが、絶滅してしまった。すると、次に近い種はチンパンジーやボノボ、次はゴリラ、・・・とヒトに近い霊長類の仲間たちを研究することで、結局ヒトという動物について知ることができるのだ。『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という問いに答えるには、ヒト、現在だけを見ていてはダメなのだ。チンパンジーが道具も使えば直立二足歩行もできることがわかってしまったら、人間の特徴とは何になるのか。

歴史を振り返れば、人間の持つ人間への興味というのは小さくない。チンパンジーなどの他者を知ることで、より自身を知ることが分かったとしたら、人間の興味がそちらに向くことも当然だろう。ただ、その知りたい他者、チンパンジーやボノボ、ゴリラなどのヒトと同じ霊長類の仲間たちは、人間の開発経済によって絶滅の危機に追いやられている。人間は狭い地球上で一人ぼっちになろうとしている。失われたものは二度と蘇らないことを考えると、チンパンジーの生活環境を本気で守らないと、人間は自分自身がわからなくなってしまうかもしれない。けっこう危ないことだと私は思う。

 

どうしてアイは「”天才”チンパンジー」と呼ばれるのだろうか。アイだけが特別だ、その息子アユムも特別だ。特別な天才だから、あんなヒトの真似事ができるのだ。そういう人間の浅はかな思い込みが、彼女を天才と呼ばせているのだろう。霊長類研究所は何もアイとアユムしか居ないわけじゃない。人間はチンパンジーすべてを天才と呼ぶか、自己中心的思い込みを諦めるか。私は後者を選びたい。

朝倉 彰洋 NINSシンポジウム事前取材

NINS取材旅行記0826 川人光男先生@ATR

8 月 31st, 2009
This entry is part 1 of 3 in the series NINS08

8月26日

 

今日は自然科学研究機構の取材で京都へ行く。少しだけ早起きして、吉祥寺駅へ向かう。午前8時20分。早起きといっても、授業期間なら駒場へ向かう時間だ。中央線は平日の割りにすいている気がする。夏休みだからかな。30分後には東京駅。ゼミ長と西田くん、そしてN700系のぞみ15号が待っている。ここから京都駅までは3時間とかからない。すごい。

 

新幹線の中では無線LANが使える。これまたすごい。ちょっと予習をしておこう。今日の取材先はATR研究所の川人光男先生。テーマはBrain Machine Interface。脳みそが体の司令塔だと言うなら、その司令塔が何をしろと言っているのかを聞けば体がどう動くか分かるはずだ。いや、その情報でロボットを動かしてみてはどうだろう。本当に脳が身体に信号を出しているならロボットがちゃんと動く仕組みを作れるはずだ。いやいや、むしろその仕組みが分かれば脳が何やってるのか分かるんじゃないか。簡単に言えばこんな研究をしている人だろうか。英語の紹介ページを読んで、英語読むの遅くなったなぁと思いながらも、名古屋に着く前には読み終えた。

 

西田とゼミ長が寝ているのを横目に、暇つぶしに読書を始めた。おととい駒場図書館で見つけた本だ。東大の大学院でやった社会人講座を書籍化したものらしい。大学の講義で書籍化されているものは大体おもしろい。これもハズレではなかった。ふむふむ。っと読み始めた途端に京都についてしまう。しまい忘れたノートPCを片付けながら、降り遅れないように焦りながら、京都の地に降り立った。去年の京大取材以来かな。その前は・・・小6の修学旅行か?そして確実に修学旅行以来の近鉄電車にのって新祝園(ほおぞの)に向かう。

東京みたいな気持ち悪い住宅街の無秩序な拡大が終わったところで一気に視界が開ける。といっても盆地だから山は見えるんだけど。一面の水田の中を線路が延びている。踏み切り音のドップラー効果を聞いて千と千尋の神隠しを思い出す。カオナシと電車にのる場面。

祝園は田舎とも都会とも形容しがたい場所に見えた。駅前に大きく綺麗な商業施設があるし。でも、たぶん田舎。バスに乗ってわかった。京阪奈学研都市というのはまだ新しいのだろう。きれいで、大きくて、人気が無い建物が並んでいた。赤字で有名な「私の仕事館」もあった。WEBコンテンツは充実してるのにね。その向こうには国立国会図書館。目的地ATR研究所があった。

 

まずは会議室のようなところで川人先生のプレゼンを聴く。まずは今度のNINSシンポジウムで講演する内容とその背景知識が伝えられる。

脳の仕組みを考えるというときに、一つの大きな流れはその構成部品について詳しく調べる方法である。例えば、脳の部品として前頭野や脳幹、海馬などの言葉を聞いたことがあるかもしれない。では、それらの中身はどうなっているのだろう?より細部に着目すれば、ニューロン、グリア細胞など、また新しく名前が付けられたものたちが現れる。ではもっと細かく見てみると、といって結局分子一つ一つの挙動まで見えてくる。テクノロジーとサイエンスの時代である20世紀が人類に与えた巨大な知の勝利だ。しかし、それでもまだ知が足りないのだろうか、脳の仕組みはよくわかっていない。心理学の様に、こころという脳の機能に着目している学問もあるが、そこからもまだ時間がかかりそうだ。

さて、それでは人はいつ脳の仕組みをわかったと言えるのだろう。ここで少し考えてみよう。粘土で人形をつくることを見てみる。袋から出したばかりの粘土はただの長方形の物体だ。それを人はこねくり回してだんだんと人型にしていく。胴体と四肢、そして頭。人の外見はある程度決まっている。顔の表情や腕の先に付いているはずの五本の指がなくとも人形には見えるかもしれない。しかし、よりリアルな人形をつくるなら、顔の上には目鼻口があるだろうし、腕の先には(何か事情がない限り)5本の指がついているだろう。私たちは人形に人の形、つまりは人間の外見という機能を再現したのだ。

人間の脳という機能、思考や感情と行ったものだけでなく呼吸や体温まで管理している脳の機能を再現できた時、人は脳を理解したと言えるのではないか。
中世から近代にかけて、人形に「命のもと」を埋め込むことで人造人間ができると考える錬金術師がいた。彼らは命のもととして様々なものを考えた訳だが、それらは現代から見ればばかばかしくも見えるのだが、人造人間をつくる試みは完全に失敗に終わる。当然だ。ただ、人造人間と聞くと現代人でも人の形と人の心を兼ね備えたものを想起するだろう。人の要素として、心と体は不可分なのではないか。

21世紀、現代の科学者は暇な大学生の即席おとぎ話とは全く別次元のロジカルな思考によって、脳を真似して脳を理解しようとしている。科学者は脳波やfMRI、脳磁計などの先端観測装置を操り脳の内部でどんな物理化学現象が起きているのかを調べることができる。そのとき、観測器を着けられた被験者は生きていて何かしらの動作をしたり、想像をしたりしている。分子が舞い、血流が踊る物理化学の舞台としての脳の姿と、心や精神と呼ばれる脳の高次活動が、現代科学技術の結晶と大科学者のロジックを通して結びつけられるのだ。さあ、サイエンスは脳を理解した!とは言えないことは少し前に書いた通り。

Aというイメージをしているときには脳のXというところが活発に活動している。逆もまた然り。これだけわかっても「脳をわかった」と言えないのはなぜか。それは相関関係を示しているだけだからだ。例えば、飲食店の数と銀行の数は正の相関関係(小学校で勉強する比例みたいなもの)がある。では銀行のまわりに飲食店ができる!といえるだろうか。ちょっと待て、他の要因はないか。ああ、なんだ昼間の人口が多い所に銀行も飲食店も立地しているんだ。納得。データをグラフに描いて、比例関係が見え見えだったとしても、すぐに結論を下さない慎重さ。これがサイエンスがサイエンスたりえる所以だ。普通は対照実験といって、要素を一つだけ変えてあとはできる限り同じ条件で行う結果を見て初めてすこし安心できる。
脳科学でも対照実験を行えばいい。だがそれは難しい。「前回の実験と完全に同じやり方でぼーっとしてください」なんて指示が可能だろうか。あるいは「この前より15%弱い眠気に襲われてください」。脳の機能はあまりにも複雑で、科学的に扱うには方法をうまく考えなければならないのだ。

ここでようやく出てくるのが、コンピュータで脳機能を再現する仕組みを作り、その仕組み(コンピュータだからいくらでもいじれる)を動かしながら、人と同じ様に動くかを調べるという方法だ。こう書くと人型ロボット変わりのない様に見えるが、「仕組み」が「人と同じ様に」動くことが重要だ。歩くだけならHONDAのASIMOにでもやらせておけばいい。ASIMOはコンピュータが姿勢を制御して歩行の様に前進することはできるが、その歩き方は人間のものではない。また、再現するのも動作ばかりではない。紹介された研究例では脳の観測から目が何を見ているのか再現することに成功している。いまあなたの目に映っているディスプレイ上の一文字が、脳の様子を見るだけで読み取れてしまうのだ。まるでテレパシーのように。

さて、ここで脳機能を再現するという川人先生の研究ではロボットを使っているということを書いておこう。私たちの体は脳から指令を出して手足を動かしもするが、ものの触感や温度などの情報を絶えず受け取っている。そうであるなら、脳の機能をコンピュータで再現するには人に近いセンサー群と人体のように動く身体が必要である。人体と脳という分けられるようで、その機能を果たすには不可分のものたちを根こそぎ再現しなければならないのだ。といってできたロボットがCB-i。ちゃんと関節が人間と同じ様にあり、センサーも付いている。駆動装置も人のしなる肉体を模倣するために電気モーターだけでなく油圧で筋肉の代わりをさせている。

ちなみにこの油圧駆動、応用面でも意味がある。例えば、この研究が進んで考えただけで機械が動かせる様になったとする。その装置(BMIという)を寝たきりの人に着けて、下半身をサポートするロボットスーツを着てもらえば、体は言うことを聞かずとも、脳の活動を読み取ってロボットスーツの力で起き上がることができるのだ。さらに興味深いことに、神経のせいで片腕が動かなくなった人に同じような機械を着けてイメージするだけで指が動く様にしたところ、頭で動かすように考えて、それでも手は動かないのだけど、それもBMIで読み取って機械を使って指を実際に動かすようなことをしたところ、だんだんと機械なしでも指が動かせる兆候が出てきたという。つまり、肉体が残っていればこの新しいリハビリ方法で再び動かせるようにできる可能性が出てきたのだ。さらに、肉体の一部が失われてしまった人も、考えるだけで本物の手足の様に動かせる義手義足が開発できる可能性も現実味を帯びてくる。これから世界最高の高齢者社会の道を突き進む日本にとって、かなり重要な意味をもつテクノロジーを生み出すことになると考えられる。

 

夢の技術。言葉にすれば簡単だが、それを実現する裏には科学者たちの莫大な努力があることを現在進行形で見ているわけだ。秋分の日、シンポジウム本番では会場を訪れて本物の科学者から本物の話を聴いてほしい。川人先生かっこいいっす。

朝倉 彰洋 NINSシンポジウム事前取材