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その後のメディア露出

2 月 16th, 2011

2010年 3月15日 AERA
2010年 9月 6日 NHKクローズアップ現代
2011年 3月18日 プレジデントファミリー

「貧困と東大」企画をきっかけとして、メディアに取り上げていただける機会がありました。この企画が誰かの勇気になれれば、この上なくうれしいことです。

・人生前半の社会保障である教育機会の均等が充実すること。
・いま、恵まれない環境にある人々が、現存する支援制度をできるだけ活用して這い上がること。
私の願いはこの2つです。

しかし、恵まれない環境に育った子供が大学(東大)で学ぶことが「理論上・制度上は可能である」ということは必ずしも制度が十分に機能していることを意味しません。そこで、普通の東大生からしたら恵まれない環境で育った東大生を紹介することにより、実際に人生前半の社会保障としての国立大学(東大)が機能していることを示しました。

私個人としても、東大生の中のマイノリティとして、経済的に恵まれない家庭に育っても東京大学で学ぶことは十分可能であることを伝えていきたいと考えています。「自分も大学に行けるんだ!」これを見た誰かの希望になれることを願っています。

朝倉 彰洋 未分類

『専門知と公共性―科学技術社会論の構築へ向けて』(藤垣裕子,東京大学出版会,2003)

3 月 28th, 2010

バイト先の先輩に薦められて読んでみた

「妥当性境界」というものが面白い。言葉の通り、人が妥当だと考える境界を想定する。これを科学者や企業、市民、自治体などにそれぞれ適用することで、各主体の意見不一致が生じる様を妥当性境界の不一致や緩厳関係で記述する。

各者がどのような方向にズレているのかを認識することで、どちらに向かえば合意が形成しやすくなるかという指針を得られるように思えた。

朝倉 彰洋 本棚

AERAに載った

3 月 11th, 2010

AERA3月15日号に載っちゃった。
きっかけは「貧困と東大」ちゃんと立花ゼミの名前も出ている。年収200万でも東大。
新勧の宣伝材料にはちょうどいいかな?

協力してくれたゼミ生、アンケートに答えてくれた三鷹宿舎の学生、何かと助けてくださった立花先生。ありがとうございます。

「知らない」が故に将来を閉ざされようとしている若者に、「貧困と東大」で明らかにしてきたことは、希望の灯を与えられると信じています。

 

実際には自分でいいのかなぁという思いもある。浪人してるし。完璧には程遠い。そんなやつでもどうにかなってるということで、いいのかなぁ。

朝倉 彰洋 未分類

『ファシリテーション入門』(堀公俊 日経文庫,2004)

1 月 17th, 2010

他人を動かすのは大変だ。ついついめんどくさがって、自分一人でやろうとしてしまう。しかし、一人じゃできないことのほうがたくさんある。

会議やミーティングをする。何かを決めるために。でも、みんな押し黙っていたり、議論から逸れた雑談が始まったり。そして何も決まらない。

高校生までは自分一人でやるか、大人数でやるとしてもレールがひかれていた。しかし、大学生になって、新しい何かをやろうとしたときにハタと気づく。他人の扱い方をよく知らない。

この本を手に取ったのは立花ゼミの先輩である岩崎さんに教えてもらったから。

ファシリテーションは会議やミーティングなどを円滑に進め、創造的な意見を生んだり合理的なコンセンサスを築くことといえるでしょう。

入門というだけに、ファシリテーションとは何か、どのように使えるか、ファシリテーションにはどのような技術があるか、を順を追って説明している。

ただ、この本を読んだからファシリテーションができるようになるというわけでない。しかし、心構えくらいは身に付くと思う。

会議の中で一人ファシリテーターを置くのもいいが、参加者それぞれがファシリテーションの心構えを持っていれば、より建設的な会議ができるだろう。

会議などに参加する機会のある人(=ほぼすべての人)で進行について教育を受けたことのない人には、流すだけでいいから一度読んでみることをお勧めする。

特に、最後の一章はファシリテーションを導入すればどうなるかを示した架空の会議が紹介されており、ここを読むだけで感じはつかめると思う。

朝倉 彰洋 本棚

講演会「二十歳の君へ」立花隆+立花ゼミ  配布資料について訂正

11 月 22nd, 2009

この記事は11月22日に行われた立花隆の講演会「二十歳の君へ」で配布した冊子をお持ちの方に向けて書いています。

冊子2ページに私のエッセイが掲載されていますが、最後の一行が欠落しています。
正しくは以下の通りです。

気づけばまた今年も駒場祭の季節になった。もうすぐ二十一歳になる。

私の二十歳の頃。それは自分をありのままに見ることを忘れ、思い出した一年間だった。

朝倉 彰洋 未分類 , , , ,

作って遊ぼう

10 月 5th, 2009

工学部の講義を受ける。理論を学ぶ。いずれは社会に役に立つ仕事をする。

 

 

それはそれで大事だけれど、忘れちゃいけないものづくりの楽しさ。

楽しいね!久しぶりにワクワクした。子供のように胸弾む思い。

朝倉 彰洋 ありふれた日々 ,

NINS取材旅行記0907 宮下保司先生@東大本郷キャンパス

9 月 19th, 2009
This entry is part 3 of 3 in the series NINS08

9月7日

事前取材もこれで最後。といっても全部で3回しか行けなかったが。今日は見慣れた本郷キャンパスで、東大医学系研究科の宮下先生のお話。

安田講堂のように時代を感じさせる建物がたくさんある本郷キャンパス。最近は土地利用の効率化のために高層建築物も増えてきた。赤門入って右手のビルは経済学部だし、その向こうにある白い巨塔は医学部の建物だ。宮下先生とはここでお会いした。

心や感覚、記憶といった単語から、私たちはその意味とどんな感じのものかがわかると思う。これらの言葉に私たちはとてもあたり前の様に接している。しかし、科学的にはよくわかっていないので・・・というのは今回のシンポジウムはどこも同じ話。

では、「心」だとか「感覚」だとかいったものを科学的に扱うにはどうしたらいいのだろうか。科学的に扱う、科学的手法で調べるということは、実験で検証可能なモデル(仮説)を考えてやって、それをテストするという手順になる。つまり、何か知りたいことがあれば、実験で取り扱う方法を考えてやれば、「脳科学(笑)」と言われずにサイエンスとしての脳の研究ができるのだ。

例えば、東京タワーや国会議事堂を思い浮かべることはできると思う。それもかなり鮮明に。では、東京タワーの鉄骨一本一本まで再現できるだろうか?もっと簡単に、展望台の位置を正確に言えるだろうか?国会議事堂の入り口には柱が何本あるだろうか?テレビや新聞でおなじみのイメージ。かなり鮮明に思い出せるはずなのに、細部を尋ねられた途端にイメージは霞の中へ消えていく。実際に目で見ていることと、見た像をイメージすることは「見ていない」こと以上にどこかしら違うのだ。

また逆に、何かを見る。例えば国会議事堂を見たときに、鳩山首相の顔がパッとイメージに浮かぶかもしれない。ほうれん草のおひたしを見ると母の顔を思い出すかもしれない。記憶の中のイメージが、視覚によって勝手に読み出されることもあるのだ。

それらのイメージがどのように生まれるのか?ヒト以外の動物ではどうか?そのとき神経細胞はどう活動しているのか?

これらの問いに、科学的に扱える適当なモデルを作って検証することで、「見る」ということ、「イメージする」ということを探っていくのだ。

 

今回の取材を通して強く感じたのが、脳科学者は科学的に真摯であろうとする努力を、一般の人々に向けて話すときは入念に行っているということだった。世の中に科学を絶対視(曲解妄信)する風潮があるが、脳科学は間違った(意図的に間違えた)引用をされやすい。遺伝子によって機能が決まると言うことも、このフレーズだけを抜き取ればくだらない優生学をサポートすることもできる。そしてどのような悲劇が起きたことか。ドイツでは戦後しばらくは人類学ができない雰囲気だったという。

脳科学は人類に自分たち自身を理解する手がかりを与えてくれるだろう。自分たちのことだ、とても興味深い発見もこれからあるだろう。

ただ、そのとき私たちは冷静に情報を受け止めなければならない。これは科学全体にいえることだし、また科学以外にもいえることだ。話はちゃんと最後まで聞いて、自分の頭で考えなければならない。新聞の見出しを読むだけではなく、記事の中身も読むように。さもなければ、自らを滅ぼしかねない。

脳科学を通して、ヒトを科学するおもしろさと怖さを知ることができた。

朝倉 彰洋 NINSシンポジウム事前取材

なつやすみによんだほん

9 月 17th, 2009
  • 生物と無生物のあいだ
    • 福岡伸一
  • 世界は分けてもわからない
    • 福岡伸一
  • 供花
    • 町田康
  • 熱力学入門
    • 佐々真一
  • バカの壁
    • 養老孟司

雑誌は除く。あれ、少ない。読んだ本が思い出せないや・・・

朝倉 彰洋 本棚

NINS取材旅行記0902 松沢哲郎先生@京大霊長類研究所

9 月 16th, 2009
This entry is part 2 of 3 in the series NINS08

9月2日

 

「天才チンパンジー、アイちゃん」20年も生きていれば一度は耳にしたことがある名前だろう。今日はそのアイちゃんの研究をしている松沢哲郎先生の取材だ。

京都大学霊長類研究所は愛知県犬山市にある。犬山は岐阜県との境界だ。犬山城の現存天守や明治村、リトルワールド、日本モンキーパークなど、愛知県民なら誰でも知っているような場所ではあるが、全国的には知られていないと思う。NINSには関係ないけれども、明治村は一見の価値ありですよ。

愛知県の東の方にある実家を出たのが午前6時30分。JR東海道線、名鉄犬山線を経由して、8時30分には霊長類研究所に到着した。研究所の前で「どうして集合時刻がこんなに早いのだろう」なんて思っていたら、松沢先生がさわやかに現れた。

“天才”チンパンジーアイちゃんとその息子アユムは毎日午前9時に勉強部屋と呼ばれる実験室にやってくる。彼らの勉強風景—実験の様子—を見せてくださるという計らいから、集合時刻が早かったわけだ。

チンパンジーの居住エリアに入るには、体温チェックと消毒、マスクの着用が求められる。いま流行の新型インフルエンザがチンパンジー達に広がらない様にするためだ。履物を換え、勉強部屋に向かう。

勉強部屋で待っていると、まずはアイが入ってきた。興奮しているようで、体毛が逆立っている。鳥肌みたいだ。そこに松沢先生が近寄ってあいさつをすると、アイの鳥肌はおさまり静かになった。

いま「鳥肌みたいだ」と書いたが、アイを初めて生で見て思ったのは「人間みたいだ」ということだ。体毛と色、顔つきが若干異なるが、一見すればヒトとかなり外見的にも似通っている。直立二足歩行だし。いきなり「大きなサル」から「人ならざるヒト」へと私の中のチンパンジー像が変わってしまった。

次にアユムが入ってきて、勉強がスタートする。NHKスペシャルで見た一瞬だけ表示される数字を記憶して、小さい順でタッチパネルを押していくという課題だった。数字が表示されるのはほんの一瞬で、私にはできるかどうか自信がない。実は、すでにこの能力ではヒトよりチンパンジーの方が優れていることが研究で示されている。

人間こそが地球上全ての生物の中で最も高等である。このような考え方がいわゆる文明的な社会では一般的ではないだろうか。他の動物は言葉がしゃべれない、道具を使えない、社会や文化を持たない。実際のところを調べた訳でもないが、自分の知っている光景から都合のいいような言説を生み出し、妄信することで定着してしまったのが、前述の人間中心的自然観だろう。この自己中心的な考え方は、注意深く他者を見つめる科学者たちの突きつける事実の前に崩れ落ちる。

例えば道具の使用。ヒト以外の動物が道具を使うことは小学校の国語の教科書にも載るくらい知られた(そして人々の思い込みに反した)ことである。チンパンジーともなれば、道具を作製して使用することもできる。大き目の石をもうひとつの石を使って叩き割って、手ごろなサイズに直したあとでハンマーとして用いるということもできる。これは打製石器といえるだろう。道具を作れるのはホモ・サピエンスだけではないのだ。また、チンパンジーが棒を使って巣穴の中のアリを釣って食べることが知られているが、違う地域のチンパンジーはアリを捕まえるのに道具を用いなかったりする。また、チンパンジーは音声言語(人間の言語ほど自由度はない)も使っている。取材の最中に松沢先生が遠くの仲間を呼ぶチンパンジー語(?)で叫ぶと、遠くのチンパンジーたちが返答をしていた。アフリカの野生チンパンジーの集団では、その叫び声も集団によって異なるという話だ。遺伝子に規定されていない何かがチンパンジー集団の中で継承されているのではなかろうか。我々は人間の持つそのようなものを文化と呼んでいる。

人間は音声言語を高度に発達させてきた。これを以って高等な動物は音声言語を操れて然るべき、という考え方も前述のジコチュー思考の一部である。チンパンジーに人間の言語を習得させようという試みは多くなされていて、特に手話などの視覚的言語をよく操れることがわかっているそうだ。チンパンジーの視覚処理は、最初に書いた勉強風景でも現れているように、人間とは異なっていて、そのため人間より優れた結果を出すタスクも存在する。

一瞬で目の前に現れたものを認識・記憶して対応するというのが私たちが見たタスクだったが、他人の顔を認識する時間を調べた研究もおもしろい結果が出ている。回転させた顔写真を提示して、その認識にかかる時間を調べるという実験だ。人間にこのタスクをやらせると、回転の角度が増すにつれて認識にかかる時間が増えていき、180度回転、つまり倒立の画像を見たときにもっとも時間がかかることがわかった。一方で、チンパンジーも画像の回転角度が増えるにつれて認識にかかる時間は増大するのだが、一番時間がかかるのは90度回転のときで、そこから認識にかかる時間は減少し、倒立、180度回転では回転していない正立の画像と同じ時間しかかからなかった。つまり、チンパンジーは上下の視覚的認識が人間とまったく異なるのだ!

森の中で樹上から地面まで3次元的に動き回るチンパンジーに対して、森から出て草原で暮らし始めた人間。進化の過程が見えてくるような結果である。

進化の産物としてヒトを見つめようとすれば、どうしても同じ先祖を持つ近縁の種との比較が必要になる。こういう能力はいつ生まれたのか、こういう構造はいつ生まれたのか、ということを探っていけば、ヒトの進化の歴史を見ることができる。数万年前だったらネアンデルタール人がまだいただろうが、絶滅してしまった。すると、次に近い種はチンパンジーやボノボ、次はゴリラ、・・・とヒトに近い霊長類の仲間たちを研究することで、結局ヒトという動物について知ることができるのだ。『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という問いに答えるには、ヒト、現在だけを見ていてはダメなのだ。チンパンジーが道具も使えば直立二足歩行もできることがわかってしまったら、人間の特徴とは何になるのか。

歴史を振り返れば、人間の持つ人間への興味というのは小さくない。チンパンジーなどの他者を知ることで、より自身を知ることが分かったとしたら、人間の興味がそちらに向くことも当然だろう。ただ、その知りたい他者、チンパンジーやボノボ、ゴリラなどのヒトと同じ霊長類の仲間たちは、人間の開発経済によって絶滅の危機に追いやられている。人間は狭い地球上で一人ぼっちになろうとしている。失われたものは二度と蘇らないことを考えると、チンパンジーの生活環境を本気で守らないと、人間は自分自身がわからなくなってしまうかもしれない。けっこう危ないことだと私は思う。

 

どうしてアイは「”天才”チンパンジー」と呼ばれるのだろうか。アイだけが特別だ、その息子アユムも特別だ。特別な天才だから、あんなヒトの真似事ができるのだ。そういう人間の浅はかな思い込みが、彼女を天才と呼ばせているのだろう。霊長類研究所は何もアイとアユムしか居ないわけじゃない。人間はチンパンジーすべてを天才と呼ぶか、自己中心的思い込みを諦めるか。私は後者を選びたい。

朝倉 彰洋 NINSシンポジウム事前取材

感動∈幸せ

9 月 11th, 2009

NINSシンポジウム事前取材の記事を書くのを置いておいて、UROPの発表練習を置いておいて、それでもなお書きたくなるほどの感動。

 

http://www.nii.ac.jp/userdata/openhouse/h21/streaming/keynote_ishii.asx

いつものようにフラフラとWEBの海を漂っていた。たまたま見つけたリンクを開き、音声だけを聞いていた。

他のサイトを見つめていても、なお途切れない音声への意識。ついにFirefoxのタブを切り替え、WMPが映す画面を見ることにした。

70分があっという間だった。私の言葉ではこの70分をまとめることができない。ぜひ見て欲しい。

見終わってふと原島博先生のメディアコンテンツ特別講義2を思い出した。そうだ、やっぱり出ていた。

大学生という職業は最高に幸福だ。自分の欲望に正直に、どこまでもcreativeになれる。なるための準備ができる。

 

さて、シンフリで工学部応用化学科に進学が内定した。私はどんな世界を拓けるのだろうか。

朝倉 彰洋 ありふれた日々