4. 山森 哲雄 先生

山森哲雄(やまもり・てつお)先生は大学院生時代に熱ショックたんぱく質が大腸菌に存在することを実証するという輝かしい功績を挙げられています。周辺の温度に対応するために、細菌から人間まで、生物は温度に応じた特定のたんぱく質を産生します。この特定のたんぱく質が熱ショックたんぱく質と呼ばれています。しかし、化学反応は温度が高いほど速く進むので、温度が変わったからといって特定のたんぱく質だけの産生量が増えるとは考えられないとされていました。山森先生は大腸菌の産生するたんぱく質の量をできるだけ個別に調べることで、特定のたんぱく質の産生量だけが本当に増加していることを確かめました。1970年代後半のことです。その後熱ショックたんぱく質の研究は進み、現在では生体の中で非常に重要な役割を果たしていることがわかっています。

しかし、ここで山森先生は研究分野を転換します。自分がやらなくても、熱ショックたんぱく質の研究は、他の人の手でなされていくだろう。他の誰もやらないような、自分しかできない研究がしたい。そう考えた山森先生はアメリカへ留学し、「ドクターコースをやりなおすようなもの」というような研究生活を送ることになります。

それから泥沼の20年が始まります。山森先生は脳というあまりに巨大な謎に立ち向かいました。私たちが何気なく使う「前頭野」などの言葉でさえも、「そうなっている」ことはわかっていても、「どうしてそうなるのか」は当時まだわかっていませんでした。しかし、山森先生は2001年に視覚野という部位で特定の遺伝子が刺激に応じて特別にはたらいていることを発見しました。

実は、哺乳類が持っている脳に関連した遺伝子の数は、2万から3万塩基と、ヒトでもラットでも大して変わりません。そのため、特定の遺伝子が発現するか否かが、ヒトに代表される霊長類の高度な脳を実現していると考えられます。これを実証したのが山森先生の研究なのです。もちろんアメリカなどの研究者も同様の研究を行っていましたが、ラットを用いた研究でした。一方、山森先生は霊長類たるサルで研究することで、この研究成果をあげられました。ラットもヒトも同じ哺乳類ではありますが、その両者のあいだにある差異がクリティカルなことがあるということです。

いま、山森先生はどの遺伝子がどこでいつ発現するのかを調べています。このような研究は一定期間で「成果がこれだけでる」とは言えないそうです。現在、サイエンスの中心はアメリカだと言われていますが、アメリカの研究者は「こうこうするとこれこれの時間でどれだけの成果がでる」と言って予算を獲得しています。それも実用上の、経済的に意味のある成果が求められます。このような環境では、まだなにもわかっていない分野で、どのような発見があるのか予期できない研究は、できなくなってきています。この点では、基礎研究にとって、日本の方が研究環境がいいのかもしれません。