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島田裕巳先生インタビュー


6. 教祖について

D  幸福の科学の大川隆法はなぜあれほど人を集められるのでしょうか。

島田 幸福実現党が選挙に出たときの演説は聞いたかな。演説はやっぱりうまいよ。そういう人は、人を引き付けるような何かがある。そういうのは実際に見てみないと分からない。だからといって簡単に見られるかっていうとそうでもない。だから麻原彰晃でも、とんねるずの番組に出たときのがyoutubeに出ているけれど、あれ奇妙でしょ。どのように奇妙は説明できないが、でも普通の人間じゃないんだよ。

G  逆に先生は、池田大作は庶民的な普通の人間であることが、例えば演説の中に雑談を混ぜて校長先生の話を聞いているような感じにさせると。

島田 庶民的だけど、普通の庶民ではないよね。そこはどういう説明をしていいか非常に難しい。いまは年を取ったからそういう力はないけど、でも求心力は特別。

Y  お金儲けをはじめから考えている人は別として、本当の教祖は、神秘体験などを通じて、本当に自分が神だと思っているわけですよね。ある意味純粋無垢に。

島田 そこはすごく難しいところで、その人が何を考えているのか外からは分からない。でもやっぱり、単純に使命感だけでやっているかどうかは分からないし、一つの役割としてやっている部分もある。その役割をずっとやり続けなければいけないのだけど、それは普通の人にはできない。いろいろな人たちが頼ってくるわけでしょ。頼ってくる人たちに対して答えを与えなきゃいけない。答えを与えるってことにはそれなりに覚悟が必要で、それが大きいんじゃないかな。

Y  それはそうですが、計算で人を引きつける割合って大した事ないと思うんです。カリスマ性というか…。私は生まれつきカリスマ性のある人なんていないと思っているんです。自分が本当に神だと信じている人がカリスマになるのだと思うんです。

島田 でもおそらく、日々の信者との関係の中で、自分っていったい何なのということをだんだん認識して、それに一番ふさわしいものになっていくのだと思う。

Y  なるほど…。あの、お金を集めますよね。集めたお金は自分の考えを広めるために使いますよね。そうすると、ただ利益を求めるのとはちょっと違うような、永遠にそれを繰り返して、拡大していって。人々はそこに超越的なものを感じ、交わりたいなという心理がはたらく、それが人を引きつける一番の要因ではないかと。

島田 目に見える何かを与えなければ、という難しさはある。その教団に関わる人たちが、その教団によって変わっていって、自分が変わったという実感が得られるかということが重要。だからずっと同じ状態ではダメで、自分が救われるという実感を得られるような、そういう実感を与えなければならない。

 

7. 宗教について書くということ

D  先生は新宗教の本をたくさん出されていて、新宗教、特に創価学会の本などは、すごく冷静に書かれていたと評判がよかったです。宗教についてそのように書くのはとても難しいと思うのですが、どういう風にしたらあのように書けるのでしょうか。

島田 やっぱオウム事件でいじめられたことかねえ(笑)。僕としては別に宗教に救われたいと思っているわけでもないし、事件後にそんなに変わっているつもりはなくて、冷静に見ているのですけれど。最初はヤマギシ会に行って、そういう世界を実際に体験してみて、それによって考え方は出来あがっている。外側から物は見ないで、内側から見なければいけない。内側から見るということは確かに難しくて、相手に同調してもいけない。だけど相手を徹底的に拒否するようにしてもダメ。どうやってと聞かれると、難しいよな。

I  先生自身が軸足にしている部分はなんですか。

島田 人が踏み込めないところにもう一歩踏み込むということかね。それは、あの時代の東大に行っていたせいもあるかもしれない。さっき言った時代というか。村上春樹じゃないけど、世界は暴力に満ちているんですよ。そういう中で生きてきたっていうことでは影響している。人間が生きていくっていうのは一体どういうことなのかということ。生き方として無難に生きるっていう生き方もあると思う。けれど人間は、自分を通そうとすれば、無難には生きられない。そのときにどっちの道を選ぶかというのがいつもあって、より危険な道を選ぶということだと思う。より危険な道を選ぶことによって、安全な道を行くよりもいろんなものが見えてくると思う。人々が反応する。葬式はいらないとかいう本を書くと坊さんに恨まれる。でも坊さんに恨まれないよりも恨まれた方がいい。敵を作る作り方で、敵は多い方がいいとは言っちゃいけないかもしれないけど、そこまで踏み込まないと相手も反応してくれない。生易しいことを言っても、相手は別に大した反応してくれない。でも怒らせないと本音も出てこない。あるいは怒らずに、味方になる人もいる。でも怒る人が一方にいないと味方も出てこない。だから戦争なんだよ。

Y   今のお話、一途に疾走する信者を連想してしまいますが…。

島田 私はいつも動いているからね。活動的であって盲目的ではないよ。

Y   そういえば先生は一つのことにのめりこみ過ぎると危険だと書いていますが、それはフレキシブルに生きろということなのでしょうか。

島田 フレキシブルに生きるというと少し違う。フレキシブルは受け身だから。もっと能動的に世界に対して関わっていくことが重要。それは、敵を作るということ。敵を作らないと、アップルだってマイクロソフトに勝てなかった。今の社会ってそうでは。

Y  先生は中学生向けの本に「悪意にもとづく殺人よりも、正義のための殺人の方がはるかに多い」という河合隼雄さんの言葉を載せていますが。先ほどの話も意図して悪い方を選んでいるということなのでしょうか。

島田 いやそんなに難しい話じゃなくて、悪いというか、はっきり言うことだよ。悪口は陰で言わないで、本人の前で言うとか、そういうことはいつも考えている。最近、柄谷行人さんをからかうのがおもしろい。そういう人をからかってみるのは楽しいんだよね。柄谷さんは戦略がある。くだらない質問がくると必ず怒る。どうしているのかなと思ったら、しゃべる前に飯を食わない。人間は空腹だと腹が立つから、わざと飯食べてないんだよ。それで時間がたつと腹が減ってきて、最後のほうでくだらない質問すると、そこで爆発する。それで自分のプレゼンスを示す。そういうやり方をしているみたい。

 

8. 伝統宗教について

D  いま新宗教が元気でそれなりに役割があると思うのですが、その一方でいまの伝統宗教はどのような位置づけですか。

島田 伝統宗教は金をいっぱい集めているよね。いま、若い人たちが来るということで強い。

D  若い人がたくさん来ているのですか。

島田 若い人しか来ない。お寺や神社を回ってみても若い人が多い。

D  若い人が来ると伝統宗教もこの後変わってくるのですか。

島田 変わるよね。支持基盤が強くなる。今、集金力は、既成宗教のほうがあるよ。今はまだ関心のレベルだと思うけれど、寺社などをめぐっているとだんだん知識も増えてきて、宗教がこういうものかと次第に思うようになってくる。老人や中年ではだめ。若い人たちはどうしてこういうものに対して関心を持つのだろうと考えると、不思議。

D  僕も行きたいなとは思っています。

島田 どんどんみんなはまっている。恐いよ(笑)。

D  伝統宗教も恐い面があるのですか。

先生 伝統宗教のほうがよっぽど恐いよ。恐いというか、領域が広くて終わりがない。日本の文化を作ってきたのも宗教で、そういうのがなかったら日本の文化なんて意味がない。言葉だって仏教に由来する言葉を多く使っている、ということは世界観もそのように出来上がっている。そういうわけで、やっぱり強いね。

Y  伝統宗教に行く人が多いのは、規制が少なくなった現代社会と関係があるのではないでしょうか。例えばキリスト教というのはかなり厳しい戒律があるとききます。規制することによって欲望はつくられると私は考えているのですが、いまの自由な社会では自分は何者で何をしたいかわからないと感じている人が多いと思います。だから縛られたいという願望が潜在的に出てきているのではないでしょうか。

島田 そういうのに惹かれる人もいるだろうけど、それだけでは成り立たない。ある種、近代化が行くとこまでいって、じゃあどうするというところまで来ている。社会自体も、経済規模が変わらなくて安定しているから、このまま行くと思う。日本って平安時代とか江戸時代とか、長期にわたって安定した時代が続いたことがあるので、僕はもしかしてこれから200〜300年くらいこういう状態が続くのではないかと思っている。まあこの予言は確かめられないので、外れることは僕の時代にはないわけだけど。新宗教は非日常的な信仰だったが、安定した時代が続くと、日常的な信仰が強くなってくる。その兆しが今出ているのかな。江戸時代は物見遊山の面もあるけれど、神社仏閣に行くのはレジャーであって、みんなよく行っていた。それとおなじような状況にいまなっている。みんな救われたいとまでは思っていない。救われたいと思うほどの苦難や欲望がないから、救われなくてもいい宗教に行くのではないかと思う。

I  でもいま社会不安とか、若者の雇用の問題とか、あるかなとは思うのですが。

島田 いま本当に社会不安なんてあるのかな。

I  レベルが小さいということですか。

島田 さっきいったような渋谷大暴動の世界からすれば安全ではないかと思う。そもそも雇用なんていったって、昔から、例えば江戸時代の人は雇用なんてされていなかった。そう考えたときに、そんなに今は社会不安でもない。この上から見ていると、東京もずいぶん立派になったものだと思う。昔と比べようがない。便利になっているし、日本にはこんなにものもなかった。暖房器具すらなくて、ストーブというと、日本製は全然だめで、輸入物のストーブをありがたがっていた。そういう時代を経験していると、なぜいまこんなに日本の社会にものがあるのだろうと思う。我々が生きていくための基礎的なものはみんなそろっている。それはやはり安定してしまう。将来のことを考えると確かに不安かもしれないけど、それって考えているだけで、実際にそうなってはいない。社会不安をあおられているような気はする。あおっている人にとってそれは利益になるのでしょう。よくよく見たらそんなに大変でもない。どの国を見ても日本より安定していない。

 

9. 最後に

D  最後に、新入生に対して何か、あるいは大学生活を送っていくうえで何か重要なことはありますか。

K  最初に先生が言ったように、引っかかることでは。

島田 僕の本を読むことだね(笑)。『創価学会』でも読めばいいのでは。ものの見方が変わるよ。まあ僕の本でなくても、宗教について、恐れる前に知ることは大切だよ。宗教についてしっかりと認識することが必要。むやみにおそれない。入る人には必然性があるから、入る人は入ってしまう。そういうことも含めて、関わらなければいいと思わずに、能動的にやったほうがいいと思う。

K  本日は宗教のいろいろな側面について話を聞くことができました。

ゼミ生 ありがとうございました。

 

※ 2011年9月6日に本取材を企画された土井貴生くんが他界されました。本インタビューは土井くんが立花ゼミ(当時)で活動された成果です。土井くんのご冥福をお祈り申し上げます。