僕は今まで憲法についてほとんどまったく考えてみることはなかった。もちろん身近なところで憲法に接する機会はいくらかあった。本屋には憲法9条関係の本がたくさん並んでいたし、テレビでは改憲・護憲をめぐっての討論番組がよく放送されていた。でも僕は、たぶん多くの高校生がそうであるように、憲法に関する問題に対してほとんど無関心だった。とにかく高校生のときは、今もだけど、もっと日常に密着した急を要する問題がほかにたくさんあって、そちらをどうにかするのに手一杯だった。だから憲法や政治の問題を考えることがなかったのかもしれない。それにもし時間が余っていたとしても、自分の好きなことをする時間のほうに費やされていたと思う。それは僕の通っていた高校では当たり前のことだったし、誰からも批判されることはなかった。
しかし大学生活に入った途端、そんな状況は一変した。大学構内にはどこかあきらかに「憲法問題に興味を持てないようなのはバカだ」というような雰囲気が漂っていた。構内には憲法問題や今の政治体制に対する批判が書かれた巨大な立て看板がたくさん立っていたし、教室の机には毎時間うんざりするほど政治関係の集会やゼミのチラシが置かれていた。さらに、ゼミで飲み会みたいなのをやると、話題が右翼左翼とか政治思想の話題になったときに場が盛り上がった。それだけではない。そういう大学の雰囲気により憲法9条などの言葉に敏感になって始めて、この憲法9条をめぐる問題に対して並々ならぬ思いを抱いている人が僕の周りにはたくさんいるということがわかった。そういう状況に接する度に、自分がこれまでまったくの無関心でいたことに対してなにかしら自責の念みたいなものを感じた。そして本屋で憲法問題について書かれた雑誌があると少し手にとってみるようになった。
しかしそれも少しという程度でそれほど時間をかけて読んでじっくり考えたわけではない。というのも僕は、大学生というのはもうすこし自由な時間がたくさんあるのだと思っていた。でも実際はそうではなかった。1年生は授業が週にだいたい18コマある。1コマが90分で、それぞれ1時間ずつの予習復習を前提にしてあるから、まともに予復習をした場合、一週間の総勉強時間を7で割って一日の平均勉強時間を出すと、
(1.5+1+1)×18÷7=9
9時間となる。休日も9時間勉強しなければいけないのだ。だから、というわけではないけど、憲法についてそれほど時間をかけてじっくり本を読んだり考えたりすることはなかった。それゆえときどき周囲との意識のギャップに愕然として落ち込むこともあった。立花先生に「あなたは知的に死んでいる」と言われる夢まで見た。
しかし立花先生は今回の憲法企画を始めるにあたって学生たちにだいたい次のようなことを言った。
「もし私が学生のときに周りの年寄りに『お前たちは日露戦争のなんたるかを知らない』と言われたとしても、きっと無視していただろう。(だから安心してほしい。云々)」
これを聞いてほっと安心した。一気に肩の力が抜けるような気がした。他の憲法論者が持っているような、憲法問題に興味が持てない学生全般に対する批判的な態度は、立花先生の場合ゼロだった。僕は今のところ憲法企画にあまりコミットできていないと思うが、これからはできるだけ参加しようと思う。
当日の講演を前もってあらすじだけ立花先生から聞いたのだが、100枚を超えるパワーポイントの中に立花先生の頭の中にある講演テーマがどっさり詰まっていた。日本国憲法が生まれるまでの様々な紆余曲折や、日本国憲法を作ったのはいったい誰なのかという疑問、日本側とアメリカ側の思惑の交錯など、いろいろな事実を聞いていくうちに日本国憲法に対してのぼんやりとしたイメージが出来上がってきた。今回の講演での立花先生のインプット・アウトプット比は、大変なものだと思う。立花先生は日本国憲法について調べていくうちに自分が知らなかったことがたくさんあることに気づき、それを恥じて、ものすごく勉強したらしい。その一部分をゼミのとき見たのだが、まさに怪物的な量だった。実際の講演では、それらの数えきれないほどの中から立花先生が拾い出してきたものがしっかりと組み立てられて語られるので、予想していたよりもはるかに興味のわく内容だった。敷居みたいなものもなくてわりとすぐに話の流れがつかめた。
当日行こうかなと迷っている方、なんだか難しそうだと思っている方、これを機に憲法9条について考えてみようと思っている方など、当日は学生の作った資料集も配布します。ぜひお越し下さい。
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